古代中国の貴族はたくさん泣けば出世できた?

――当時、出世しやすいお役人にはどんな特徴があったのでしょうか。現代の中国共産党体制ですと、実務能力が高くて任地でしっかり(その時点での中央が重視する)業績を上げていること、力を持っている上司や派閥から引き立てられること……あたりが重要です。もっともそれ以前に、周囲の評判がいい優秀な人材じゃないと入党できませんが。

【柿沼】科挙(儒教の知識や文才を問う官僚登用試験)ができる前の時代ですから、家柄・コネ・外見(つまりルックス)がたいへん重要になります。もちろん学識もあるほうがいいのですが、そもそもお金持ちでなくては勉強する機会を得られません。書籍を買ったり、家庭教師を雇ったりするにはお金がかかりますし、若者に勉強をさせるほどの時間的・経済的な余裕は、一般的な農家にはありません。

――生まれと顔。ほとんど先天的な要素で決まってしまいますね。

【柿沼】ええ……。ただ、中間レベルくらいの貴族でさらに上を目指したい場合は、ひとつ必殺技があります。お父さん、お母さんが亡くなったときこそ大チャンス。当時、両親が亡くなったときは、墓のそばに小屋を作って、そのなかで故人を悼んでしくしく泣いたのです。

世間の決まりですと、喪に服すのは3年で、実際には2年程度でよかったようなのですが、後漢時代の流行は「ものすごく喪に服す」こと。9年喪に服すとか、泣きすぎて病気になるとかですね。そして、ボロボロになった状態で小屋から出てくると、「よくがんばった、なんと立派な孝行者だ」ということで、政府の閣僚になれる場合もある。

――キャリアアップの方法が「何もせずに泣き続ける」。異文化を感じます。

評判は悪いが腕一本でのし上がった呂布

【柿沼】逆に、『三国志』の著者として知られる陳寿は、歴史家としては有名ですが、官界でのキャリアのスタートはいまいちでした。失敗した理由は、父の喪に服していたとき、その途中で具合が悪くなったので、お手伝いのおばさんに薬を差し入れさせ、それを弔問客にみられてしまったこと。そのため「陳寿は服喪期間中に女性と接した」みたいな理屈で延々と叩かれることになりました。

――コロナ禍の自粛警察みたいですね。異文化に見えて、人間のやることは変わらない。

【柿沼】ああ、そうかもしれませんね。ちなみに個人の努力で出世する方法は、自粛警察に勝つほかに、中国西北部にある万里の長城あたりの辺境であれば、腕っぷしの強さで道を切り開く手もあるにはあります。もっとも、三国志に登場する「西涼の錦」馬超は、じつはすごく名家の出身でして、本当の腕一本の叩き上げは呂布くらいです。

――呂布、評判は悪いですががんばったんですねえ……。

【柿沼】呂布の評判が悪いのは、実際の振る舞い以上に、家柄がないので馬鹿にされたことも大きいでしょう。がんばったのに、気の毒ではあります。