「最高善」の3つの条件

あり余る快楽や富でも心が満たされないとしたら、私たちは何を求めるべきだろうか。それこそが私たちを心から満たしてくれるものであり、最終目的なのだ。アリストテレスはこの最終目的を「最高善(ト・アリストン)」と呼び、その条件として次の3つを挙げた。

①大所高所に立つ最高能力が追求する望ましさでなければならない
②手段としてではなく、それ自身が望ましいものでなければならない
③可能性のままの状態の卓越性ではなく卓越性を現実に活動させていなければならない

①は、私流にいえば自分の個性が発揮できる活動(doingness)でなければならないということだ。打ち込めるもの、熱中できるものともいい換えることができるだろう。

たとえば、「あなたの夢は何ですか」とたずねると「社長になりたい」とか「結婚したい」などという人がいる。しかしそれは到達したい状態(beingness)をいっているにすぎない。「社長になったら○○をして会社を変革し社会に△△を提供して貢献したい」とか「結婚したら配偶者とともに○○をして△△の活動をし、役立ちたい」といった自分の個性が発揮できる活動(doingness)を思い描いているなら別だが、そうでなければその状態に達した瞬間に目標が消滅するだろう。

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あるいは、「難関国家試験に合格したい」とか「投資用の不動産を所有したい」といった夢を語る人がいる。しかしそれは所有したいモノ(havingness)を語っているにすぎない。それらを手に入れた後、「○○をして社会に貢献したい」といった自分の個性が発揮できる活動(doingness)を思い描いているのなら別だが、そうでなければそれらのモノが手に入ってしまえば、そこで目標が消滅するだろう。

「最高善」を手にしたときに心から満たされる

一方、自分の個性が発揮できる活動(doingness)を見つけた人は、次から次へと新しい挑戦に挑んでいけるから人生が色褪せることがない。挑戦に次ぐ挑戦で常に新しい自分を発見するだろう。「大人の勉強」はそれを可能にしてくれるものである。

②の意味は、たとえば本当は勉強したくないのに昇進や進学、就職のために仕方なくしているとしたら、それは「手段」として勉強しているにすぎず、よって「最高善」とはいえないということだ。その何かが得られた瞬間その勉強に興味がなくなることだろう。

③は、心理学者アブラハム・マズローのいう「自己実現(才能・能力・可能性の使用と開発)」とほぼ合致している。自己実現している人々は、自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているが、それこそ最高善といえよう。逆に、たとえば歌手や作家、画家、スポーツ選手、棋士、発明家として大成できる潜在能力があるのに、それを眠らせたままにしている人は「最高善」に到達しているとはいえない。

人それぞれにはそれぞれの持ち味がある。その潜在能力を開花させ、「最高善」を手にしたときにはじめて心から満たされる。それを可能にするのが「大人の勉強」なのだ。