お金があれば幸せになれるのか。出版翻訳家の宮崎伸治さんは「お金はそれ自体が幸せを保証してくれるものではない。それどころか、快楽、名誉、富は求めすぎると大切なものを見失ってしまうものだ」という――。

※本稿は、宮崎伸治『自分を変える! 大人の学び方大全』(世界文化社)の一部を再編集したものです。

ヨットにシャンパンのグラスと笑顔の友人
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「快楽、名誉、富」を手に入れれば幸福になれるのか

「大人の勉強」をはじめる前に、快楽や名誉、富などについてふれておきたい。

人は快楽、名誉、富などこそが幸福の源泉だと思い込み、価値を疑うことなくひたすらそれを追い求めているかのように思える。しかし、これらを手に入れても本当に心が満たされ、幸福になれるのかは疑わしいところだ。

快楽や名誉や富は、実はこの世でしか価値のないもの(アリストテレスのいう「仮象の善」)にすぎず、「善そのもの」(節制・正義・自由・真理などソクラテスがいう「魂自身の飾り」)を犠牲にしてまで求める価値のあるものではない。

快楽は持続性がないため、ひとたび手に入れると際限なく求め続けることになる。しかも同レベルの快楽ではすぐに飽きてしまうので、どんどん刺激を強くしていかなければ興奮しなくなってしまうのだ。

地位も名誉も手に入れた有名人が、禁止薬物に手を染めて転落したり、政治家が違法献金の授受で逮捕されたりするニュースが後を絶たないが、享楽主義に陥ってしまうと快楽の奴隷になり次から次へと快楽を求めなければ満足できなくなってしまう。ほかの大切なものを犠牲にしてまで求めるものではないといえる。

「富そのもの」が幸せを保証してくれることはない

また、名誉は他人によって決められるものさしで、自分がすぐれていることを確信したいがために求めているにすぎない。つまり他人に依存していることになり、それは本当の幸せとはいえないだろう。私たちが目指すべき究極目的ではない。

富は確かに何かの役に立つ。しかし、「何かそれ以外のこと」に役に立つというだけのことであり、富そのものが十分にあってもそれはそれだけのことで、それ自体が幸せを保証してくれることはない。したがって、これもわれわれが目指すべき究極の目的ではない。

これらは一見、私たちに幸せをもたらしてくれそうなものだが、実はほとんど幸せの保証をしてくれないことは、多くの不祥事や犯罪が報道されていることからも明らかだ。

快楽や富を求めることに重きを置きすぎると大切なものを見失う。なぜなら「善そのもの」を犠牲にすれば、その代償のほうがはるかに大きくなるからだ。