黄色いマーガリンには40倍の課税

これらの規制は州ごとの法律だったため、州を跨いでの拘束力はなかった。そのため、バター業界は全国規模の規制を連邦政府に求めロビー活動を行った。1886年に制定された最初の連邦法「マーガリン法」は、マーガリンが着色されているか否かによらず、一律1ポンド当たり2セントの税金を課した。その後、連邦政府は、さらなる規制強化を求めるバター生産者らに対応する形で、1902年には改正法を制定した。

1886年法ではマーガリンの色は規制対象とはされていなかったのに対し、1902年の改正法は、色が規制の重要な基準とされた。黄色く着色されたマーガリンには、1ポンド当たり10セントという前回の5倍もの税金が課され、一方、着色されていないものは、課税額が引き下げられ1ポンド当たり4分の1セントの課税となった。

アメリカでこうしたマーガリン規制法が制定されたのに先駆けて、ヨーロッパ諸国ではすでにマーガリンの生産や販売を制限または禁止する規制法が成立していた。イギリスでは、法令として成立しなかったものの、マーガリンを赤色にするよう定めた法案が出された。

マーガリンと着色料の「セット販売」

酪農大国でもあったデンマークやフランスは、バターの色に似せてマーガリンを着色することを禁止した。これらの法案や規制の内容からもわかるように、ヨーロッパ諸国でもアメリカでも、バター生産者および政府関係者らは、バターとマーガリンの見た目を明確に区別することが最も効率良く、そして有効にマーガリンの生産と販売拡大を阻止できると考えていた。

久野愛『視覚化する味覚』(岩波新書)

マーガリンの生産量および消費量が特に拡大したデンマークでは、マーガリン業者が生産規制に対抗して新たな施策を打ち出した。その一つが、黄色い着色料を小さな容器に入れ、マーガリンと一緒に提供することであった(通常、着色料は無料でマーガリン購入者に手渡された)。

消費者は、自宅で自ら着色料を混ぜてマーガリンを黄色くし、食したのである。マーガリンは、ラードなどのように料理に混ぜて使われる場合もあったが、バターの代わりとして使われる場合には、そのまま食卓に出してパンに塗ることも多かった。バターの「自然な」色は黄色だと考える消費者は多く、その代替として使うマーガリンも黄色いものを求めたのである。

このデンマークの事例はアメリカでも取り入れられ、1902年法の成立後、多くのマーガリン業者は、高額の税金を避けるため、着色をしていないマーガリンを製造販売すると同時に、黄色い着色料をカプセルに詰めて無料でマーガリン購入者に配布した。

マーガリン業者の一つ、ジョン・F・ジェルク社は、こうした新しい販売方法と家庭でのマーガリン着色を周知するため、消費者向けに発行した冊子の中で着色方法をイラストつきで説明していた(図表1)。このような家庭でのマーガリンの着色は、課税法が撤廃される第二次世界大戦後まで続き、家事労働の一つとして次第に定着していった。

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