どうすればやる気を起こす評価ができるか

では給料はどうするかというと、やはり年功を積んで頑張る人については、それにふさわしい額がありますから、給料を上げるために資格制度を別につくる。そういうことをやったこともあります。

どうすればみんなにやる気を起こさせ、どうすれば評価がうまくいくのかということは、企業の永遠の課題です。それは本人だけの問題ではなく、周囲にたいへん大きな影響を及ぼします。

非常に優秀だからと、ある人を昇格させた。本人は喜ぶかもしれませんが、周囲の人にしてみれば、「あんなやつが上がって、なんで俺が上がらんのや」と、逆にモチベーションが下がるわけです。

つまり、みんなを励ますことにはならない。降格させたらさせたで、今度は「次は俺が下げられるんじゃないか」と恐怖心が出てきて、なおモチベーションアップにはならない。

いろいろなことがあるものだから、何かルールを決めて、それにすがろうと思ってしまう。そうすれば責任がなくなって、気楽になるわけです。

成果主義では人は頑張れない

ところがそうじゃないのです。人を評価するというのは、そういうことではありません。結局は社長が組織の中に入っていって、会合なんかにもすべて出ていって、何百人という人を心血を注いで見ていかなければならないのです。

その場合、もちろん業績も問題になってきます。京セラでは、部門ごとに来期の目標を、トップも含めてみんなで立てます。そして管理会計の手法で、部門別の業績がピシッと出てきますから、目標をどこまで達成したのかという業績も当然、問題になります。

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よく成果主義といいます。つまり「業績を上げた人には払います、上げなかった人には払いません」というのが成果主義です。以前、大手電機メーカーがとり入れて、二年もしないうちにやめていますが、成果主義で頭を叩いたって頑張れるものではありません。

確かに、立てた目標を達成すれば評価しなければならないと思いますが、たとえ目標を達成できなくても、必死で頑張った人は頑張ったなりの評価をしてあげないと、後々、誰も頑張りません。数字だけの問題ではないはずです。そのあたりが、情というか、本当に難しい。

ですから、これはもう理屈通りにはいきません。成果主義で、「業績が上がればボーナスを出します、ダメだったら出しません」というのは簡単なように見えますが、大企業も含めて全部うまくいっていません。成果主義ではみんながやる気を失ってしまうのです。

業績が上がり、ボーナスをたくさんもらったときは喜んで張り切るでしょう。しかし不況になって業績が悪くなり、ボーナスが出ないとなればどうなるか。

今度のボーナスはいくらもらえるだろうと思っていたら、出ないという。家に帰れば奥さんも子供もいて、住宅ローンも払わなければならないのにと、みんなブツブツ言い出す。

前回はよその倍ほどボーナスを出したとしても、そのとき喜んだだけで、次にボーナスがゼロになったときには誰も、「この前、倍もらったからいいではないか」と言いません。「業績が悪いのかもしれないが、我々にも生活がある」というので、一気にやる気を失ってしまいます。