なぜ子供を躾けなければならないのか

2、社会との調和と子どもの理性を育てる限界設定

次に欠かせない親の役割は、限界設定です。

限界設定とは、「ここまではOK。でも、ここから先はNO!」と言ってあげることによって、子どもの心に欲求不満を起こさせることです。

子どもが社会に出て行くとき、自分の欲求がすべて通るわけではありません。

子どもが泣こうがわめこうが、駄々をこねて暴れようが、ダメなものはダメ。

そう、優しく、でもキッパリと親が限界設定をしてあげることによって、子どもは、理性で本能に折り合いをつけることを学んでいきます。

仏教では、欲や怒りなどの情動をコントロールすることを、忍辱にんにくと呼びますが、「忍辱」を学ばなかった子は、将来、社会と調和できないばかりか、自らの目的に向かって、自分を律することができなくなる可能性が高くなるのです。

仏道修行に励むサンガにも、限界設定がありました。

かいと呼ばれる個人のルールと、りつと呼ばれる、厳しい集団のルールです。

戒は個人の情動を抑えて理性を保つためのルールで、破ったとしても罰則はありません。

けれども、律は、集団(社会)のルールなので、破ると罰則があります。

サンガにおいて、戒律(限界設定)が大切にされた理由は、

①戒律を守ることによって、サンガ内外が調和するため。
②弟子たちの修行目的である、情動に流されない、理性的な人格が育つ。

からです。

戒律は、サンガにとって、欠かせない限界設定だったのです。

写真=iStock.com/Pavel Sipachev
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3、学びの機会を逃さないためにも躾は大事

3つ目に大切なことは「躾」です。

躾と聞くと、何だか非常に厳格なイメージで、抵抗を感じる人がいるかもしれません。

しかし、躾とは、決してビシビシ、ガミガミやかましくすることではありません。

「躾」の文字が示すとおり、「身に美しく」してあげることがしつけです。

身に美しいとは、どういうことか。

私たちは、日々、ご飯を食べて、身体を維持しています。

私たちは、日々、情報や刺激を取り入れて、心を維持しています。

そして、心身に取り入れたものを消化吸収し、体外に排出しています。

その毎日の作業が、周囲に嫌悪感を与えるようなものであれば、子どもは周囲から嫌われてしまいます。

例えば、食べる時、ガチャガチャと食器を鳴らしながら、クチャクチャとそしゃく音を漏らしながら食べたらどうでしょう。

例えば、食べたものを排泄するとき、ゲップやオナラ、尿や便をところ構わず垂れ流したらどうでしょう。

例えば友達と遊んでいるとき、故意ではないにせよ、誰かにぶつかったり、友達のオモチャを壊してしまったりして、「ごめんなさい」が言えなかったらどうでしょう。

子どもは親からよりも、はるかに多くの学びを、友達や学校など、家庭外から得て育ちます。

その時、彼らの口や身体を出入りする、食べ物や情報、排泄物や言動が、身に汚いものであったとしたら、友達や先生から嫌われて、せっかくの学びのチャンスを逃してしまうかもしれません。だから、躾が大切なのです。

お釈迦さまの時代のサンガ(東南アジアでは今でも)は、衣食住のすべてを、人々からの托鉢たくはつやお布施によって得ていました。

躾がなされていない、言動が下品な僧侶がいるサンガは、人々から支援を受けることができません。

だからこそ、お釈迦さまは、弟子たちに厳しく躾をなさったのでした。