小説『それから』に写し出された漱石の人生観

生活の困窮とメンタルの悪化もあり部屋にこもりっぱなしになった漱石のことを、下宿屋の女性主人は「驚くべきご様子、猛烈の神経衰弱」と言い残しています。その後、漱石は帰国を命じられ、再び講師として働くことになります。

しかし、漱石の分析的で堅苦しい授業は不評でした。生徒からは愚痴を言われ、さらには注意をした教え子が自殺してしまい責任問題にまで発展。そうしたストレスの多い環境を前に再び神経衰弱に陥ってしまいました。

そのようにして生きづらさや人生への行き詰まりを感じていた漱石に対して、「気晴らしに文でも書いてみては?」と友人の高浜虚子から勧められます。その勧めのままに筆をとってみたところ、漱石はその類稀なる文才を発揮し、『吾輩は猫である』『倫敦塔』『坊っちゃん』と立て続けに作品を発表。瞬く間に人気作家としての地位を固めていくことになります。

「人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない」

これは代表作の一つ『それから』からの引用ですが、漱石自身の人生観が如実に表れています。

人生の目的は自分で決める、これが自由

明治初期という激動の時代を背景に、幼少期から続いた私生活面の混乱、人一倍真面目で努力家だったからこそ味わう世間からのプレッシャー。紆余うよ曲折の上でたどり着いた作家という道。周囲の期待に応えることで実感できた自分の存在意義。ただ、周りの環境に振り回され、それに合わせてばかりでは自分を見失ってしまう。

一方で、真面目で責任感が強いからこそ、その場から逃げることもできない。しかし、そのままでは自分の自由は奪われたまま。

自分が生まれた目的も結局わからないままだ。

だからこそ、自分が生まれた目的は自分自身で作るものでなくてはならない。

目的があって自分が生まれてきたわけではない。

生まれた時から目的なんぞを決めてしまうのは当人の人生の自由を奪うことに他ならない。人生の目的というのは自分が今ここで打ち立てるべきものなのだ。自分で打ち立てた目的に従って生きていこうではないか。

そのように思っていたのではないでしょうか。