文豪・夏目漱石は若い頃から成績優秀で、周囲から将来を嘱望されていた。だが、その重圧からメンタルを病みがちだった。動画クリエイターのライフハックアニメーション氏は「若い頃の漱石は、他人にどう思われるか気にしがちだった。だが、『自分の人生の目的をつくるのは自分』という考え方にたどりついたことで、文豪になることができた」という——。
※本稿は、ライフハックアニメーション『天才はみんな「鈍感」さん ありのままの私を大切にした偉人の話』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
表向きは「成績優秀」、実際は「神経衰弱」に
漱石の半生は幼少期から一貫して、精神的に心穏やかに安心して過ごせる環境ではありませんでした。ただ、そのような落ち着かない環境下でも、勉強熱心であった漱石は学校ではほとんどの教科において首席の成績を残し、特に英語において非常に優秀な成績を収めます。
1890年(漱石23歳)には帝国大学(のちの東京大学)の英文科に入学し、本格的に英文学を学びます。しかし、この時期から漱石は悲観主義・神経衰弱に陥り始めます。これは幼少期からの落ち着かない生活環境、そして青年期一歩手前の時期での親族との度重なる死別などが影響していると考えられています。
大学を卒業したのちは、英語教師として働きます。
そして1900年(漱石33歳)、文部省より英語教育法研究のために英国留学を命じられ単身イギリスに向かいます。しかし、国からもらえる生活費は少なく、見知らぬ土地での一人暮らしで漱石は困窮し神経衰弱に陥ります。