無限に幸福を求めていてはいつまでも落ち着けない

幸福を追求すると、それが逆効果になることも珍しくない。幸福になろうとして、かえって不幸になってしまうことすらある。

エリック・ワイナーの著書『世界しあわせ紀行』に、シンシアという女性の話が出てくる。シンシアは、引っ越しを考えていた。次に住むところに一生、住みたいと思ったので、どの地域に住めば最も幸福になれるかを事前に細かく検討した。

彼女はまず、文化的に豊かな地域がいいと考えた。また、美味しい飲食店の多い地域、自然、できれば山が近くにある地域を望んだ。検討の末、シンシアが選んだのはノースカロライナ州のアシュビルだった。小さいが文化的に豊かな街で、山に囲まれていて自然が近くにある。

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ワイナーは彼女に、「このまま一生、アシュビルに住み続けるのか」と尋ねたが、シンシアは返事に迷った。アシュビルは確かに彼女の掲げた多くの条件を満たしているけれど、ここが本当に最良の土地かどうかはわからないというのだ。彼女はまだ良い場所を探していた。アシュビルに3年住んでも、まだ「ひとまずここに住んではいるけれど、良いところが見つかればすぐに引っ越す」と思っていた。

シンシアと同じような問題を抱えている人は少なくないとワイナーは考えた。アメリカ人には彼女のように無限に幸福を追い求めていつまでも落ち着くことがない人が大勢いる。すでに幸福なのにもかかわらず、明日はもっと幸福になるのでは、もっと幸せになれる場所があるのでは、今よりもっと幸福な生き方があるのでは、と考え続けてしまう。つねに目の前に無数の選択肢があるため、どうしても1つに決めることができないのだ。

ワイナーは「これは危険なことだと私は思う。私たちはどの場所も、どの人も本当に愛することができない。どこにいても、いつも片足をドアの外に出しているようなものだ」と書いている。

不幸な人間はダメな人間という意識

ワイナーはシンシア以外にも何人もの人に話を聞いたが、どの人も、どこでなにをしていてもつねに最大限の幸福を得なくてはと考えていた。そのため、今、自分の目の前にあるもの、自分の持っているものが最良だとは思えなくなっていた。今のありのままの人生を楽しむことができなくなっていたのだ。

人が自分の幸福を追求することの弊害はこれだけではない。もっと幸福にならなくてはと思うあまりに、人生を楽しめなくなるのも確かに問題だが、それ以外にも、すべての人が自分個人の幸せだけを考えるようになると、人間関係に悪影響が出ることも多い。実はこの人間関係こそが幸福の真の源泉であることが多いのに、それが損なわれてしまうということだ。

誰しも生きていれば、どうしても辛いこと、苦しいことに直面するし、どうしてもそれに耐えなくてはいけないこともある。だが、人は誰もが幸福になる必要がある、という考え方が社会の中で優勢になると、不幸なとき、それに耐えて生きることが難しくなってしまう。

人間はつねに幸福でいなくてはいけないのに、不幸になった自分は失敗した人間、ダメな人間だという意識を持つことになる。不幸はそれだけで重荷なだけでなく、二重の意味で重荷になるということだ。