幸福を人生の究極の目的にすると人生の豊かさが損なわれる

幸福を人生の究極の目的にしないとしたら、私たちはどうすればいいのだろうか。私たちにとって大切なものは、幸福以外にもたくさんある——たとえば、愛、友情、なにかを成し遂げること、自己実現など——どれも私たちを良い気分にしてくれるわけではないが、人生を豊かにしてくれる。どれもそれ自体に価値がある。

たとえば、私たちが友情を素晴らしいと思うのは、友情によって良い気分の量が増えるからではないだろう。友情の価値は、特に困難な状況になったときに明確になる。重い病気にかかるなどの危機に直面して、助けが必要なときには、友情の大切さがよくわかるのだ。共に過ごして楽しいということだけが価値ではないだろう。良いときも悪いときも、お互いに人生を豊かにすることができるからこそ、友情は大切だ。

人間は複雑なものである。単に良い気分になるだけでは十分ではない。それ以外にも必要なものはたくさんある。確かに幸福な気分になれるのは良いことだが、それを人生の究極の目的にしてしまうと、真に価値のあるものが多く失われ、人生の豊かさが損なわれる結果になるだろう。

幸福はあくまで価値あるものの副産物である

とはいえ、現代の私たちの社会で、幸福を目的にせずに生きるのは容易ではない。「人間は幸福になるべきだ」というメッセージが社会にあふれているからだ。

たとえば、テレビをつけてみると——特にコマーシャルを見ると——ともかくあらゆる企業が、微笑みをたたえた健康そうで美しい人を使い、「この商品を買えば幸福になれますよ」と訴えてくる。しかし、どの人もニセ予言者のようなものだ。その言葉に決して騙されてはいけない。もっと幸せになりたいと思うあまりに、人生において大切なものを犠牲にしてはならない。

幸福とは単なる感情であり、それ以上のものではない。なにか真に価値のあるものを手に入れたときには、その副産物として幸福感も得られることはあるが、その場合、重要なのは幸福感ではない。つまり、人生を真に価値あるもの、意味あるものにしたいのならば、単に幸福を追求して生きるのは良い方法とは言えないということだ。