書物主義とは形式主義のことである
タイトルにある「書物主義」にも触れておかないといけない。毛沢東は調査の重要性を訴えたが、文書調査に対しては異議を唱える。
(p.6)
つまり毛沢東が批判する「書物主義」とは「本」のことだけではなく、上からの命令や過去の慣習、あるいは教科書的な一般論に疑いなく従う形式主義的な態度のことである。
上位権限者から指示を受けたら「とりあえず文章で指示をください」と要求する場面は日本の役所でもよく見られる光景だが、形式主義は責任回避行動の結果であり、建設的な態度ではない。
ここで疑問を抱く人もいるだろう。書物を軽視し、現場を重視していては上の命令に背く党員が増え、一枚岩の党運営ができないのではないかという点だ。
しかし、あくまでも毛沢東が批判した書物主義は、党の世界観の枠内に収まる話である。
最高権限者は毛沢東であり、彼が決めたことは絶対で、党員はその線は越えてはならない。そのかわり枠内の具体的な解決策については、現場担当者自ら頭と足を使えと言っているのだ。
資本家にも、ごろつきにも話を聞く
この作品の最終章「調査の技法」には調査の仕方、とくに調査会での討論の技法について、かなり具体的に書いてある。
毛沢東は、さまざまな立場の人を集め、議論をさせることによって、現代でいう「集合知(コレクティブ・インテリジェンス)」をつくることを目指した。
毛沢東は、調査会に協力してもらう出席者の資格に言及している。
(p.18)
年齢、職業などできるだけバランスよく集めよ、ということだ。とくに注目したいのは「ごろつき」の意見も聞けという箇所である。
反社勢力を通じて、裏社会までを視野に入れないことには革命は実現できないという毛沢東のリアリズムが表れている。