メルケル首相の政治姿勢は、妥協的だった。15年にシリア、イラク、北アフリカから難民が押し寄せたとき、国内にも他国にも「みんなで難民を受け入れよう」と訴えた。ドイツは人手不足だから、労働力として受け入れるという裏アジェンダもあった。国内の各地方に受け入れ人数を割り当て、EU内では各国に割り当てを提案した。配給型の発想になるのは、東ドイツの配給型社会で育ったからだろう。

まずドイツで率先して難民を受け入れ、「みなさんも受け入れて」と説得した。自分が先に犠牲を払うのは「ノブレス・オブリージュ」(高貴さには義務が伴う)の精神であり、彼女のリーダーシップがEUで安定的に受け入れられた理由の1つだ。

また、ユーロ圏の19カ国にはインフレ率、財務状況、為替相場、長期金利などの基準があり、例えば財政では新規国債発行額がGDPの3%を超えてはならないと決められている。09年以降のギリシャ財政危機でも、メルケル首相はリーダーシップを発揮した。

ギリシャのような国は、政治を安定させるために、ユーロ圏の基準を超えたお金をばらまく。ユーロ圏の国々はギリシャに対して「ルールを破るなら出ていけ」と言い出し、15年からギリシャ首相のチプラス氏は「それなら出ていく。EUから借りた金は返さん」という態度に出た。しかしギリシャは、ユーロでないとハイパーインフレを招く恐れがあった。ドイツのショイブレ財務大臣が懸命に説得し、ギリシャは緊縮財政に切り替えて現在もユーロ圏に残留している。

しかしメルケル首相は、イギリスのEU離脱はまったく放置した。ギリシャを説得したのと違って、「出ていきたければ出ていけ」の態度だった。あくまでEUの繁栄をめざすEU至上主義をブレずに徹していたのだ。

メルケル不在のEUに未来はあるのか

メルケル首相は、東側との関係強化も進めた。彼女は東ドイツで必修だったロシア語が堪能だった。一方で、ロシアのプーチン大統領は、若い頃にKGBでドイツに潜入するスパイの教育を受けたから、流暢なドイツ語を話す。2人はロシア語、ドイツ語の両方でコミュニケーションがとれるのだ。

私の知り合いがフランクフルトの見本市で、プーチン氏とメルケル氏を案内したことがある。2人はドイツ語で話している最中、他人に聞かれたくない話のときだけロシア語に切り替えていたそうだ。阿吽の呼吸で密談のスイッチを入れられるぐらい心が通じているらしい。