実際に、イギリスは当初から“コロナ野戦病院”を建てるなどして、医療崩壊への対処をそれなりに行ってきた。2020年春のロックダウンの際、行動制限がかけられていたのに、多くのコロナ関連死亡者が出るなど感染の猛威をもろにくらってきた経験から、政府は「今かかったら病院に入れないかもしれない。でもあと1カ月間我慢すれば何とか収まる」と、客観的な情報を集めた上で国民に呼びかけてきた。人々も「家にこもるべき日数目標」を立て、コロナの大流行中は絶対に出かけないという決心の下で苦しい日々を乗り越えてきた。
一方、感染状況が最悪だった今夏の日本の政府対応などを思い返すと、「『救急車に乗れても収容先がなく、自宅療養を強いられる』という状態から、いつになったら抜け出せられるのか」を判断するのに、残念ながら適切な客観的情報がまるで得られず、国民が自身の行動を決めるための基準や見通しがまったく立っていなかったように見える。筆者自身、出張で夏の一定期間を日本で過ごしたが、現在のイギリスよりよほど怖い状況だと感じた。
日本人と欧州の人々では意識が違う
もう一つは、日本で暮らしていると、街を行き交う他人に対する心遣いがほとんど感じられないということ。
この点においてはイギリスを含む欧州では、必ずそうだとは言い切れないものの、人とすれ違う時は必ずアイコンタクトを取った上でそれなりの距離を空けて歩く、という習慣が日常的に誰に頼まれることもなく行われていた。
ところが、日本では通勤ラッシュに代表されるように、人が周りにいても目に入らないかのごとく平気で接近してくる。これはコロナのさなか、非常に怖い気がした。
日本では、特に東京で新規感染者数が30人程度まで減少する状況が10日間以上続いている。とても喜ばしいことだが、ここに至るまで「自分の周りの人たちへ気遣いをしながら、ソーシャルディスタンスを取る」ことがまったく定着しなかったように思う。
コロナ禍が完全に過ぎ去ったわけではないが、イギリスでは、「経済を回す」という点で一定の軌道に乗ったとみても良さそうだ。ワクチンの効果もあり、もはやコロナにかかっても重症化しない安心感に加え、いよいよ内服薬を手にする見通しもついたイギリス社会は、年間で最も消費が増えるクリスマス商戦に突入していく。今年の年末こそは、家族だんらんで健やかに過ごしたい、人々は何よりもこれを願っていることだろう。