格差論のトレンドを振り返る

私が記憶する限りでも、2000年代以降、以下のような格差に関する言説のトレンドがあった。

2000年 バブル崩壊や就職氷河期等による中流崩壊言説を経て、『不平等社会日本』(佐藤俊樹)等のベストセラー現象に確認できる格差社会論の本格化

2006年 小泉純一郎総理の「格差が出ることは悪いことでない」という格差肯定論

2008年 リーマンショック、年越し派遣村、『子どもの貧困』(阿部彩)等による格差批判の広がり

2009年 民主党政権、2011年東日本震災の中で、格差社会を前提とし、子どもの貧困対策を含めて格差は深刻であもり、改善すべきものという認識が徐々に浸透していった。

2012年 第2次安倍政権、アベノミクスの中でも格差拡大論が時折指摘され今日に至っている。

「親ガチャ」ブームは、第2次安倍政権での格差拡大論とコロナ禍の景気停滞等による先の見通せない社会不安の中で、とくに今年になって急にマスコミによって喧伝されるようになった。

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ソリューションを示す報道は少ない

しかしながら、その本質は、日本も、子どもがどのような親をもつかによって、教育機会だけでなく、学習意欲・体験、そして就業機会の格差まで大きな影響が及ぶ構造的課題をもつ格差社会であるということに尽きるのである。

不思議なことに、「親ガチャ」を騒ぐマスコミからは、ではどうしたらその格差をなくすことができるのかのソリューションに関する報道や発信は少ない。

騒ぐだけ騒いで、若者や親に不安を与えるだけならば、公共の報道としてはむしろ有害なのではないだろうか。

なお本稿では、親子の相性の悪さという意味での「親ガチャ」は分析の対象外としている。

生活の苦しさが、家族間のコミュニケーションを悪化させ、親子の相性を悪くさせるという意味の「親ガチャ」は格差問題としての視点に内包されている。

また生活が苦しくなくても、親子の間に相性の良しあしがあることは否定できない事実であるが、個人的には親の側が子どもを独立した人格とみなし、親自身の子どもへの執着を割り切れるかどうかが重要だと考える。

これ以降、「親ガチャ」という言葉を生む、日本の意欲・学力・経済力格差再生産を発生させている根本要因である“政府の親へのフリーライド問題”と、その解決策(ソリューション)を考える。

すなわち「親ガチャ」にはソリューションがあるのだ。