被害者意識を抱いてしまう自分も許そう

マウンティングと受け取ってしまう自分がイヤ、そんな自分は性格悪いと落ち込む、といった悩みも聞くが、それは人として自然な感情だろう。「他人と比べてもしかたない」とよく言うが「比べるのはしかたない、人間だもの」と私は思う。

私も恋愛地獄行脚をしていた頃、セレブの記事を見ながら「ビクトリアはいいな、ベッカムがいて」とさめざめ泣いて「誰と比べとんねん」と友人一同につっこまれた。親友の結婚式に出席した時も、おめでたい気持ちと妬ましい気持ちが半々だった。

そうやってネガティブな感情を抱くだけなら、誰にも迷惑はかけていない。心の中は不可侵領域で、何を思おうが自由なのだ。

アルテイシア『モヤる言葉、ヤバい人』(大和書房)

マウンティングと受け取ってしまうのは、性格が悪いからじゃなく、今がつらい状況だから。状況が変われば気持ちも変わる。「どんな時でも人の幸せを喜ばなきゃ」なんてブッダみは出さなくていいし、無理する方が余計こじらせてしまう。「今は、これでいいのだ」とブッダじゃなくバカボンのパパになろう。

そして、そのつらい気持ちを今後に活かそう。たとえば選択的子ナシの私には不妊治療のつらさはわからないが、欲しいものが手に入らないつらさならよくわかる。

立場や属性が違っても、同じ経験をしていなくても、想像力があれば人はわかりあえる。

「人それぞれ喜びも苦しみもある」と皆が胸に刻めば、七つの傷を持つ男がいなくても、世界に平和が訪れる。というわけで私もハート様のように「マウンティング殺しのアルテイシア」の異名を持ちたいと思う。

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