見た瞬間、あれ、二人の叔父に似ている、と思った。私はこの三十年近く、川に映る自分の顔しか見ていなかった。

手紙が入っていた。

「山下奉文大将の命令書を持って、小野田さんの上官・谷口義美少佐と島にきました。同じ場所で待っています。三月四日 鈴木紀夫」

少佐の「命令は口達す」という文書もあった。「口達す」――これこそ私が長い間待っていたものだ。諜報など特殊任務要員には命令書のほかに、直接、本人に口頭で命令を伝えることになっている。その役目で谷口少佐がきたらしい。

「命令を下達する」。そして…

「和歌山ポイント」まで二日かかった。

(敵のワナの可能性もある)

私は包囲された場合の突破作戦を考え、日没まで警戒した。

日が落ちた。一気にテントに接近した。外に洗濯物を取り入れている鈴木君の後ろ姿が見えた。

「小野田さんだッ、小野田さんだ。谷口さん、小野田少尉です!」

「おお、小野田君か。いま出て行く」

少佐が姿を現した。

「小野田少尉、命令受領にまいりました」

私は不動の姿勢をとった。

少佐は菊のご紋入りのたばこを差し出した。

「命令を下達する」。少佐は最初、山下奉文大将名の「尚武集団命令」を淡々と読んだあと、「参謀部別班命令」に移った。

「参謀部別班命令 九月十九日一九〇〇 バガバッグ
一、大命ニ依り尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ停止セリ
二、参謀部別班ハ尚武作命甲第二〇〇三号ニ依リ全任務ヲ解除サル
三、参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ 已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍卜連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ
第十四方面軍参謀部別班長 谷口 義美」

少佐は、少し間をおいて「終わり」と告げた。

私は次の言葉を待った。少佐は何もいわず、ゆっくりと命令書をたたんだ。

昭和四十九年三月九日、私の三十年戦争は終わった。強風を必死で雨戸で押さえていて不意に風がやんだため、突然、体ごと外に放り出された――ちょうどそんな感じだった。

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