宇品の最期の司令官となった佐伯文郎の存在
堀川さんは南方に本部が移された司令部の動きを詳細に調べ、2万人以上の日本兵が犠牲になったガダルカナル島の戦闘などを、「宇品」からの視点でさらに見つめた。
とりわけ作中で印象的なのは、宇品の最期の司令官となった佐伯文郎の存在だ。
宮城県出身の佐伯は士官学校から陸大へと進み、卒業後すぐ参謀本部に配属されたエリートだった。日中戦争では歩兵旅団の旅団長も務めた。
「宇品」が船舶輸送の拠点から「特攻」を担うようになるなか、彼はどんな思いで船舶司令部の最期を見届けようとしていたのか。田尻は戦後に多くの記録を自らの責務のように残したが、佐伯は自らについてほとんど語っていなかったという。
原爆投下から35分後、「暁部隊」を被災地に向かわせた
だが、彼は広島の原爆投下に際して、ある一つの「決断」を自ら下している。原爆投下から35分後、なけなしの「暁部隊」を被災地に向かわせ、救援活動を始めたのである。本土決戦に向けての「沿岸防衛」のための部隊を人命救助に使う――その背景には関東大震災のとき、「交通担当参謀」として交通インフラの復旧を担当した経験があったという。堀川さんはそこに「組織人を越えた人間としての発露を見た」と語る。
「佐伯は非常に優秀な官僚、組織人でした。しかし、彼の不幸は自身の能力を発揮するための組織が、着々と破滅に向かっていったことです。この本の中で私は、そのぎりぎりの苦悩を感じてほしい、と思いながら佐伯の人物像を描きました。佐伯もまた田尻と同様に、『個』と『組織』のはざまで苦しみ、おそらくは敗戦を確信しながら、船舶司令部での仕事にベストを尽くしました。その彼が原爆投下の際に、『暁部隊』の総員を救援に投じるという決断を自ら下した。私は、組織の論理を越えたところでの人間としてのぎりぎりの発露を見たように思ったのです。そのことは暁部隊、陸軍船舶司令部の歴史を一からたどり、組織に置かれた個として彼らの苦しみを追ったからこそ、初めて見えてきたものだったと感じています」
原爆投下の直後、佐伯の決断がどれだけの命を救ったのかということは、ほとんど知られていない。終戦から現在まで、旧軍に対して批判することはあっても、評価することは避けられてきたからだ。
「言ってみれば、私はこの本を書くことで、そんな佐伯さんや田尻さんの弔いをしたかったのかもしれませんね」
長く続いた取材の過程の中で、忘れ難い光景が堀川さんにはある。それは2020年の1月にガダルカナル島を訪ねたときのことだ。