町の人みんなで子どもを見守る

当社が運営する古民家宿「他郷阿部家」(以下、阿部家)の料理人、小野寺拓郎さんも大森町に移住した人の一人。もともと西荻窪の古民家カフェ「りげんどう」で働いていましたが、「大森町で働いてみないか」と、私の夫の大吉さんに声をかけられ、単身でやってきて、1カ月後に奥さんと子どもを呼びよせました。家族が増えて、今は4人の子どものお父さん。大森町内の古民家を買い求めて、一家6人で暮らしています。この町では、町の人みんなが、子どもたちを見てくれる安心感があると言います。

大森町に移住して10年目になる鈴木良拓よしひろさんは、2014年に立ち上げた里山の資源をいかしたブランド「Gungendo Laboratory」の中心人物でしたが、2年前に「百姓になりたい」と当社を卒業。正社員から「関わり社員」という肩書に変わり、農家になりました。今は固定種・在来種の野菜やハーブを環境負荷の小さい自然農法で育てる「令和の百姓」として、奥さんと子ども二人とともにこの町に根を下ろしています。

これまでは単身で東京と大森町を行ったり来たりしていたオンライン事業担当の六浦むつうら千絵さんは、コロナ禍にフリーランスのカメラマンであるご主人と子どもと一緒に大森町に移り住みました。六浦さんは最近、二人目を出産。こちらも家族が増えて、ますますにぎやかになりそうです。

働くために暮らす東京、暮らすために働く大森町

どこの地方も若者を呼び寄せることに力を注いでいます。私もよく「どうやって若者を集めたのですか」と聞かれます。

当社の場合、一つのきっかけは「生きるように働く」をコンセプトにした求人サイト「日本仕事百貨」で求人募集をするようになったことでしょうか。そのサイトでは、これまでに何度か当社で働く若いスタッフの、ここでの暮らしや仕事について紹介していただきました。現在、阿部家で働いている山碕千浩さんも、この記事を読んで応募してくれました。また講演会やメディアがきっかけで、入社を志望してくれる子もいました。ここに来る若者たちは、単に収入だけではない、稼ぐこと以上に有意義なことを求めて来てくれているように思います。

田舎は閉鎖的で外から来る人が溶け込みにくい。そんなイメージがありますが、田舎でも歴史をひも解けば、かつては外からやってくる人を受け入れていたことがあったかもしれません。

大森町はかつて銀山が栄えた大都市で、全国からたくさんの人が集まっていたので、もともと外の人を自然に受け入れる土壌があります。ですから、あまり閉鎖的ではなく、どちらかというと町全体に家族的なあたたかい雰囲気があるのではないかと思います。うちのスタッフも、近所のおじいちゃんに畑を習ったり、奥さんから料理を習ったり、地元の人によくしてもらっていますよ。

昔、東京の広告会社で働いていた社員が、大森町にきてから「東京では働くために暮らしていたけれど、ここでは暮らすために働く」という名言を残しています。全く逆の発想になったと語ってくれました。

『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』(小学館)より
松場登美さん、大吉さん夫妻が運営する石見銀山生活文化研究所の、唯一の看板も小さな木でつくったささやかなもの