維新を賛美する「司馬史観」からの脱却

これまで幕末から明治期を描いた大河ドラマは、1968年の『竜馬がゆく』を皮切りに、大村益次郎を描いた『花神』(1977年)、西郷隆盛と大久保利通が中心の『翔ぶが如く』(1990年)、『徳川慶喜』(1998年)と、司馬遼太郎が原作のものが多かった。

司馬遼太郎による歴史の見方は俗に「司馬史観」と呼ばれる。

幕末から明治期に関して、司馬史観の特徴を簡単に説明するなら、日本を急速に近代化させた明治維新と新政府、その時代の日本人を賛美する姿勢だといえる。

むろん、大河ドラマには、ほかの原作者を立ててこの時代を描いた作品も少なくないが、近年の『竜馬伝』(2010年)にせよ、『西郷どん』(2018年)にせよ、維新を賛美する史観は概ね継承されていた。

それに対し、私は以前から強い違和感を覚えていたが。それだけに、『青天を衝け』における維新の描き方には、ある意味、拍子抜けしながらも、ようやく安堵できている。

ただし、それぞれの場面に目を凝らし、描写やセリフの意味を一つひとつ考えないと、描かれている明治維新の「実像」に気づかないままになりかねない。

そこで、以下に『青天を衝け』から注目すべき場面を拾って、その意味を解いていきたい。

公家と薩摩藩が密謀し「錦の御旗」を偽造する

一橋家に仕官したのち、当主の慶喜が15代将軍に抜擢されたため幕臣となった渋沢栄一は、1867年、パリ万国博覧会に出席する慶喜の異母弟、徳川昭武に随行してパリに渡る。そして、翌年に帰国するまでの間に江戸幕府は終焉を迎え、新しい政府が樹立され、戊辰戦争は大勢を決していた。

ドラマでは、栄一の動向と並行して日本の政治状況が描かれ、栄一の帰国後に、あらためてその間に起きていたことが、栄一に物語るかたちで回想された。

なかでも維新の本質が描かれていたのは、第23話「篤太夫と最後の将軍」(7月18日放送)だった。ちなみに、篤太夫とは栄一のことだ。

まず、薩摩や長州などの下級武士たちと連携して討幕を画策していた公卿の岩倉具視の言動だ。

蟄居中の岩倉は大久保一蔵(利通)に向かって「これがあれば戦になっても心配あらしまへん」と言いながら、旗を用意している。いわゆる「錦の御旗」である。

岩倉は続ける。「御旗も源平から足利のころまでいろいろありますよって、生地を大和の錦に紅白緞子どんすでパッと。まつりごとを朝廷に返すのは当然のこと。徳川を払わねばとてもとても、真の王政復古とは言えまへん」。

写真=iStock.com/NSA Digital Archive
※写真はイメージです

このセリフからなにがわかるだろうか。まずは錦の御旗の偽造である。周知のように、鳥羽・伏見の戦いで錦の御旗が掲げられると、旧幕府側は「朝敵になってしまう」と大きな衝撃を受け、慶喜が敵前逃亡するきっかけになった。

岩倉は来るべき新政権から徳川を排除する目的で、その御旗を、朝廷とは無縁のところで、大久保らとともに勝手に作っているのである。