「若いから」という理由で介護保険をしばらく使えなかった
千鶴子さんは自分の写真を自ら処分し、葬儀の方法を夫に話し、飼い猫は父親の許可を得て実家に託した。身の回りをきれいにし、死の一年前から両親には「がんばったよね。もういいよね」と何度もたずねていたという。
「それに対して『いいよ』なんて、母親の私には言えません。でも『がんばれ』とも言えなかった。なんて言えばいいのかわかりませんでした。バカみたいですよね。親のほうが娘の死を受け入れられなかったんです」
後悔ばかり、満足のいくようにできなかったと、けい子さんは涙をぬぐう。
余命2年と宣告された頃、千鶴子さんは「要介護2」の判定。しかし「若いから」という理由で介護保険をしばらく使えなかった。保健所や介護センターにけい子さんが何度足を運んでも変わらない。最後は、厚生労働省にまで連絡したという。
「高齢者のための介護保険なんです。介護サービスの対象は基本的にお年寄り。法律がどうであれ、実態はそうなんです。私だってできるなら、娘を気持ちよく家で看取りたかった。でも若く、しかも病気の人にはハードルが高いです」
夫は千鶴子さんと暮らした家で、一人暮らしをしていたが…
千鶴子さんが亡くなって7年がたつ。現在50代前半の夫は再婚せず、千鶴子さんと暮らしていた家に一人で暮らしている。
しかし今年のはじめ、千鶴子さんの夫は長年休まず勤めてきた会社を無断欠勤した。心配した会社は、唯一の連絡先で義母にあたるけい子さんに連絡した。けい子さんが携帯に連絡しても、やはり彼は電話に出ない。そこで救急隊とともに彼の家に踏み込むと、なんと室内で千鶴子さんの夫は倒れていた。すでに意識が朦朧としている状態で、のちに脳梗塞と診断される。二度の手術を経て、今秋、彼は退院したが、まだはっきりと記憶が戻らないという。
「いつまで面倒をみられるか自信がありません。でも、できるだけ見届けたいと思う」とけい子さんが言う。
「彼の看病をするようになって、病気をしていた時の千鶴子の表情が頻繁に浮かぶようになりました。娘の介護を経験したからこそ、彼に対する医療スタッフやケアマネージャーなどの看護のよさがわかります。でもそうなると、娘に対しては満足にできたんだろうかという思いがわきあがってきて……」
けい子さんは少し疲れたように笑った。そばで千鶴子さんが飼っていた猫がニャーニャーと鳴く。介護に対して後悔することばかり、満足していないと繰り返す。
そんなことないです、親としてできる精いっぱい以上のことをしていたと思う、と私は告げた。
実は私はこの一家が一番大変な頃に、千鶴子さん本人に出会った。千鶴子さんは決して弱々しい女性でなく、どちらかというと勝ち気で、特に自分の母親や夫に対しては一層強気になっているようだった。
だから私は病気と知っていても、彼女に冷たくしてしまったことがある。こうして原稿を書きながら当時の出来事を思い出していると、胸がズキズキと痛む。「どうしてあの時、もっと優しくできなかったのか」と私も今、改めて思う。(続く。第5回は10月8日11時公開予定)