大阪芸大卒・元デザイナーの女性店主
1979年、大阪で生まれた森さんは、父親の仕事の都合で小学生の頃、奈良市に移った。父親は建築関係で、建物の設計やプロデュースをしていたそうだ。母親は同じ会社で、建築物のパース(完成予想図)を描いていた。
森さんは長女で弟がふたり。家族で映画『ネバーエンディングストーリー』を観に行った後、みんなでカレンダーの裏側に自分が一番印象的だったシーンを描いた思い出があるという。家族でサーカスを観に行った時にも、同じようにカレンダーの裏に絵を描いた。
森さん自身は「絵を描くのが好き」「モノづくりが好き」という感覚がないまま高校生になったが、進路を決める時に母親から「絵、描くの好きなんやから芸術系に行ってみたら?」と勧められた。
それで、なんとなく芸術系の大学に進むための専門学校に通い始めると、あっという間に絵を描く楽しさに夢中になった。さすが、母親は娘のことをよく理解していたのだろう。
1998年、大阪芸術大学に入学。自宅から電車通学しながら、工芸科でテキスタイルデザインを学んだ。生地を染色したり、生地のデザインをしたり、繊維を使って立体的なオブジェをつくるような学科だ。
実はこの学生時代、おはぎづくりにつながるような経験をしていたが、それは学校ではなく、アルバイトしていた喫茶店の厨房だった。そこは和菓子と洋菓子、軽食まで出すお店で、森さんは4年間、厨房で寒天からあんみつをつくったり、シュークリームの生地を焼いたり、カスタードクリームを炊いたりしていた。
アルバイト先でお菓子づくりに熱中
そこである日、「同じ材料を使っているのにつくり手によってカスタードの味がぜんぜん違う」ことに気づいた。
クリーミーで甘さあっさりのものもあれば、固くて絞り袋に入れても出てこないもの、口のなかでべたーっとして甘ったるくなるものもある。なぜそうなるのか、どうやればおいしくつくれるのか、バイトながらも熱心に試行錯誤した。
「火加減が一番大事やったんかなあ。強火で炊くのが大事で、しっかり素早く混ぜるとクリーミーで甘さあっさりになるんです。そこで混ぜる手が追い付かないからといって弱火にすると、もたーっとする。人によってぜんぜん仕上がりが違うから、そのうち、クリームを舐めただけで、これは宮本さんのや、これは鈴木さんのやとわかるようになりました(笑)。自分が担当してうまく炊けた日には、大学の友達に『今日はおいしいカスタード炊けたわ』って報告してたみたいですね」
そのこだわりはおいしくつくるだけにとどまらず、盛り付けにしても、できる限りおいしそうに、かわいらしく見えるように気を使った。大学4年生の頃には最古参のアルバイトになっていたので、雑につくったり、適当に盛り付ける後輩にはしっかりと指導した。
「自分なりにすごくこだわり持ってつくってたんで、4年間、楽しかったですね」
大きな会社で働いて感じた疑問
ここまで真剣にお菓子づくりと向き合っていた森さんだが、「仕事にしよう」という感覚はなかったという。
特にこれがしたいという希望もないまま、周囲に流されるように就職活動を始めて、京都の寝具メーカーを受けたらたまたま採用されたので、就職。大阪の本町にデザイン室があり、テキスタイルデザイナーとして、そこで寝具の生地のデザインを考えたり、ベビー布団の柄を描く仕事をしていた。
この会社を5年で辞めることになったのは、いくつかの事情があった。