大統領は泥酔して眠りこけていた

老獪なブレジネフは切り札をちらつかせ、内政で行きづまっているニクソンの窮状につけこもうとする。

民主党事務所への侵入をくわだてたウォーターゲート事件で追及を受けるニクソンは、まさに苦境に追いこまれていた。

しかしこの人物が思考不能におちいっていることを、ブレジネフはどこまで知っていただろうか。

書簡を受けとった二四日午後九時三五分、ヘンリー・キッシンジャー国務長官は大統領に緊急事態を伝えようとしたが、大統領は「会える状態ではない」と告げられる。

そこでキッシンジャーがみずからホワイトハウスの危機管理室でブリーフィングを行なった。

爆撃機には核爆弾を搭載、核ミサイルサイロには発射体制をとらせ、攻撃型潜水艦もロシア沖に配備させた。

二五日朝、米軍はデフコン(防衛準備体制)IIIに入った。デフコンIIIでは空軍は五分で出動でき、B52六〇機がグアム基地から召喚され、第八二空挺師団が戦闘体制に入る。

おりしも、核搭載が疑われるソ連船がアレキサンドリアに向かっていることを情報機関が察知した。このときニクソンは就寝中、正確にいうと泥酔して眠りこけていた。

「大統領の許可なしに核警戒態勢に入らなければならなかった」と、海軍作戦部長のエルモ・ズムワルト提督は一七年後に回想している。

「大統領が目を覚まさなかったからだ。あきらかに深酒が原因だった。どうしても『起こせない』とのことだった(※1)

米ソの最高権力者は二人ともアルコール依存症

午前八時、ようやく目覚めたニクソン大統領は、自国が核危機にさらされていることを知った。

議会の主だったメンバーとの会合が開かれる。キッシンジャーが遅れて到着。

大統領は「ヘンリーを見つけるのに苦労したよ。家政婦とベッドにいたんだ」とからかう。

「ヘンリー」が一同に現状を説明しはじめると、ニクソンがさえぎった。

そしてソ連の共産主義の歴史について、三〇分にわたって演説した。そして「わたしはソ連がお人好しだなどと、一度も言っていない」と結んだ。

最終的にブレジネフはおどしを実行せず、国連は新たな停戦協定を提案。警戒態勢は解かれた。

ブレジネフもアルコールと睡眠薬に依存していたから、事態はいっそう深刻だった。

一九七三年一〇月にブレジネフが危機をまねくのを防いだのは、のちに後継者となるユーリ・アンドロポフであった可能性が高い。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、アメリカのデフコンIII発動でブレジネフの酔いは一挙に醒めたようだ。

ニクソン大統領がこの核危機について『回顧録』で語っている一節を見ると、アルコールには精神安定作用があったのかと、かんちがいしそうになる。

「われわれは行動を起こす必要があった。核警戒態勢でおどしをかけるのもその一環だった」。

当時、側近たちが彼を起こさなかったのは、軽率な判断をしかねないとわかっていたからなのだが……ウォーターゲート事件で窮地に立たされ、大統領は危なっかしい状態だった。

写真=Atkins, Oliver F., White House Photo Office/Wikimedia Commons
1973年、大統領専用ヨットで会談するリチャード・ニクソンとレオニード・ブレジネフ。