「酔っ払って絵に向かって話しかけていた」
ここ数週間、職務を肩がわりしていたキッシンジャーも、上司を「酔っぱらったお方」などとよび、アルコールがらみで危ない事例が頻発したことから、ニクソンがなにかを命令したら時間稼ぎをしてはぐらかせるようにと、政権幹部に指示していた。
キッシンジャーは側近にも、「大統領の言うことを聞いていたら、毎週のように核戦争が起こる」とか、大事な書類にサインをもらうなら早朝がいい、などとアドバイスしていた。
一九七三年八月、ニューオーリンズで演説したニクソンには「疲労」の色が見えた。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、大統領は言葉につまったり、声のテンポや大きさが急に変わったりした。大統領を「トリップしたエド・サリヴァン(人気司会者)」と形容する者もいた。
一九七四年八月九日の辞任にいたるまで、事態は悪化の一途をたどった。タイムズ・オヴ・イスラエル紙によれば、政権末期になると「完全に酔っぱらった状態でホワイトハウスを歩きまわり、絵に向かって話しかけていた」という。
キッシンジャーは自殺願望が出た場合をおそれ、医師に精神安定剤の処方をやめさせた。
キッシンジャーの補佐官だったローレンス・イーグルバーガーは、大統領がキッシンジャーをよんで辞任の決意を伝える場面に立ち会っていたが、そのときのことをのちに、ウォーターゲート事件をあばいたジャーナリストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインにこう語っている。
「大統領はしどろもどろだった。酔っぱらって、体の自由がきかなくなっていた(※2)」
それはいまにはじまったことではなかった。
酒が入ると口が軽くなる男
一九七二年、大統領は酩酊状態でヘンリー・キッシンジャーと北ベトナム情勢(ベトナム戦争は一九六五年にはじまっていた)について話しあっている。
「彼らに核爆弾をおみまいするべきだと思う」
「うーん、それはやりすぎではありませんか、大統領」
「気がひけるのか? ヘンリー、もっと大きなことを考えろよ!(※3)」
ホーチミンの国のことわざにあるように、「酒が入ると口が軽くなる」のだ。
一九六九年八月、サレーム・イサウィとライラ・カリドがロサンゼルス─テルアヴィヴ間のTWA八四〇便をハイジャックした。
二人は機をダマスカスに着陸させた。
酔っぱらって電話越しに叫んだニクソンの指示は「空港を爆撃せよ!」だった。
困ったキッシンジャーとメルヴィン・レアード国防長官は、とりあえず軍艦二隻を地中海に待機させることでお茶を濁した。
「爆撃したのか?!」とボスが電話でどなると、二人は天候不良を口実に釈明。
最終的にはニクソンが正気に返って乗客116人は助かり、飛行場の運用も継続できた。