※本稿は、ブノワ・フランクバルム著、神田順子/田辺希久子/村上尚子訳『酔っぱらいが変えた世界史』(原書房)の一部を再編集したものです。
第四次中東戦争勃発で、緊張が走る米ソ
トリッキー・ディック(ずるいディック)とよばれたリチャード・ニクソンは、アルコール・アレルギーと過度のアルコール好きの両面をもっていた。
没後二六年の一九九四年に明らかになったところによると、世界最大の権力者だったこの男はたった二杯で酔っぱらい、しかもそこでストップすることができない男だった。
こんな状態では、世界の運命に重大な影響をあたえかねないし、実際にそうなりかけたことも何度かあった。
最終的には、慢性的な深酒が破滅的な核戦争につながることはなかったのだが……。
一九七三年一〇月六日、エジプトとシリアがシナイ半島とゴラン高原でイスラエルに侵攻。これがヨム・キップール戦争(第四次中東戦争)である。
ソ連の武器供与を受けた両国は一挙に軍を進め、一四日にはニクソン政権が空輸により二万二〇〇〇トンの武器補給をイスラエルに行なう事態となった。
当時は冷戦のただなかであり、緊張は最高潮に達した。
幸いだったのは、国連が二二日に即時停戦を求める安保理決議三三八号の採択に成功したことだ。
だが、すぐにソ連がイスラエルの協定違反を非難する。
一〇月二三日から二四日にかけての夜、ソ連のレオニード・ブレジネフ共産党書記長がニクソンに書簡を送り、イスラエルに停戦を遵守させるよう要求し、ソ連地上軍の派遣までほのめかしたのだ。
「遅滞なく行動していただきたい。はっきり申し上げるが、あなた方がこの問題でわれわれと足なみをそろえることができないなら、われわれは一方的な適切な措置をとるかどうかを、緊急に検討する必要性にせまられることになる。われわれはイスラエルの恣意的行動を容認することはできない」。
「一方的な適切な措置」をとるとは、ズバリ第三次世界大戦を意味する!