これは春先以降の行動制限解除の賜物だが、4月1日時点のワクチン接種率は英国で45.92%、米国で29.60%、欧州で13.05%であり、今の日本と比べればかなり低かった。

一体、日本は何のためにワクチン接種率を必死に引き上げてきたのか。「ワクチン接種率が高まるまでの辛抱」は欧米のような戦略に基づいた希望ではなく、単に「つらい思いをすれば何か良いことがあるはず」という程度の根拠薄弱な希望にすぎなかったように見える。

戦略の失敗は戦術で取り返せず

冒頭図の軌道を見れば分かるように、ワクチン接種ペースの軌道は欧米に比べても遜色なく、これは間違いなく菅政権の実績である。日本は現場が創意工夫をこらして効率化を図る段階に入ると力を発揮しやすいというイメージがあるが、今回もそれが当てはまったように思う。

コロナ禍は戦争に例えられるが、大まかな戦闘作戦が「戦略」だとすれば、現場の奮闘を成功に導くのは戦略を遂行する(時には誤算が生じても軌道修正できる)「戦術」である。しかし、いかに「戦術」が優れても、「戦略」が誤っていれば有益な戦果は得られないのは自明である。

戦争を語る際の格言に「戦術の失敗を戦略で補うことはできるが、戦略の欠如を戦術で補うことはできない」というものがある。今の日本経済はこの格言を地で行っている。いくら「ワクチン接種を世界最速で進める」という素晴らしい戦術を現場が発揮しても、それを活かす戦略が今の日本にはない。だから、日本の目覚ましいワクチン接種率向上も経済成長にほとんど寄与していない。

せっかく重症者・死者の数を劇的に抑制するという医療面で大きな成果をあげても「まだ油断するな」と分科会が繰り返すばかりで、全く日常が正常化しない。人流が増えれば、逐一メディアが「+○%増えた」と非難まじりの報道を展開する。これで消費・投資意欲が正常化するはずがない。

結果、続くのは実体経済の「見殺し」である。医療の素人が軽々に口を出すべきではないのだろうが、素人目に見ても日本の犠牲は一段階、いや二段階ほど抑制されているように見える(図表2、100万人当たりの死者数)。

接種率も米国を抜いた今、これ以上、何を求めるのだろうか。戦略として何を目指しているのか皆目見当もつかない中、効率的なワクチン接種や飲食・宿泊産業、学校を含めた教育の現場などが必死に戦術を工夫し奮闘している日々が続くが、これからも「見殺し」を続けるのだろうか。