人生のほとんどは「ささいなこと」

1日は24時間、1週間は7日間。私たちの日常生活は、自分の都合の良いようにいかないことであふれています。ただ、そのほとんどは、ささいなこと。たいしたことではないことばかりといってもいいでしょう。

たとえば、朝出かけるときに、履いていこうと思った靴が汚れていた。思わず舌打ちしてしまう。通りを歩いているうちに今度は靴のひもがゆるんできた。あーあ、とため息が出る。駅に着いたら着いたで、電車が事故か何かで遅れている。

「まったく、どうなってるんだよ」と毒づきたくなる。こんなことは毎日のように起こります。それに対して、いちいち怒ったり、イライラしたり、ムカムカしたりしていては、まったくエネルギーの無駄。

そんな無駄を省くために、私はとりあえず、「心の動き、感情がマイナスの方向に動くのは、自分の都合通りになっていないからだ」という自己認識の大原則を思い出すようにしています。“とりあえず”というのは、遭遇したことについてあれこれ考えず、放っておいていい、という意味です。

小さな不都合なんか放っとけ、放っとけ

そうして心が鎮まったら、舌打ちしたくなるのも、ため息をつきたくなるのも、毒づきたくなるのも、すべて、自分の都合通りになっていないケースなんだな、という認識の仕方に納得がいきます。自覚が生まれたということです。

名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)

つまり、「世の中、そんなモノだ」という納得ができる。もう全然、こだわらない。そうすると、小さなことにいちいち心を動かすのは、なんとバカバカしいことかが分かる。そんなもの、放っとけ放っとけ、ということになるわけです。

言い方を変えれば、靴の汚れも、ひものゆるみも、電車の遅れも、全部「私のせいじゃないもんね」という受け止め方。

一種の「責任回避」かもしれませんが、それで「自分のせいじゃないから、どうしようもないか、仕方ないか」という、これまた一種のあきらめのつけ方ができます。そうして、心が平穏にもどる、心が鎮まるのなら、もうけもの。

小さな不都合なんか、放っとけ放っとけ。

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