家庭料理のおかずのような場合、私はざっくりと盛ることを心がけています。たとえば、牛肉と牛蒡ごぼうの煮物があるでしょう。鉢に盛る時に牛肉と牛蒡を分けたりしないで、鍋のなかで煮えている様子が思い浮かぶように盛りつけます。牛肉と細切りの牛蒡がからんだ状態でいいんです。そちらの方が自然だし、口に運ぶ時も一緒に食べた方がいい。家庭料理の盛りつけは、気負わずに、自然のまま、ざっくりと盛ればいいんです。

和服の女性に対して特に気をつけること

以前、うちの店でお見合いの会食をされた方がいらした。その時、仲人役の方に、「ご紹介したお嬢さんが一つも残さず料理を食べることができた」と喜んでいただいたことがあります。

女性は和服で召し上がる場合があります。大切な着物に醤油しょうゆを垂らしでもしたら大変ですから、私は塩昆布を刺身で巻いたりして、醤油を使わないくふうをします。

また、かにの胴の部分など、食べる時に手間のかかるものは出さないようにしています。お祝いの席でたいの姿焼きを用意することはありますが、食べる時はこちらで取り分けます。うちでは出しませんけれど、鶏の手羽先なんて、手に取ってせせって食べるからおいしい。結局、盛りつけとは食べる人の身になること、お客さまのことを考えることです。いくら美しい盛りつけでも、食べにくいというのは困ります。

撮影=牧田健太郎

そういえば、うちの店にいらっしゃる女性のなかには身を食べた後、残した魚の骨を隠しておくために懐紙や敷葉をのせる方がいらっしゃいます。茶道の勉強をされている方に多いのですが、やはり、女性は食べ終わった蟹殻や骨を、見せたくはないのでしょう。女性はそういうところに気を遣うのです。こういうお客さまはありがたいですね。私たちにとっても勉強になりますから。

センスを磨くのは「食べ歩き」ではない

盛りつけはセンスです。ですから、美的なセンスを磨かなければならない。美術館へ展覧会を見に行くのもいいし、店のショーウインドーがきれいだと感じたら、じっくりと眺めてみるのもいいでしょう。料理人だって食べ歩きばかりではいけません。本を読んだり、外に出て美しいものがあったら、足を止めたりする。勉強とはそういうもんです。

撮影=牧田健太郎

私は修業時代、ふたつだけ贅沢ぜいたくをしました。ひとつはカメラを買ったこと。和菓子屋さんに行って、ガラスケースのなかのお菓子を撮影したんです。もうひとつはおわんです。お椀を買いました。一組をまとめて買うほどの余裕はなかったので、毎月、一客ずつ分けてもらった。時々、寝る前になると出してきてじっと眺めていました。そういうお椀は今でもまだ店で使っていますよ。