戦後70年が経っても米軍の特権が残っている

辞任後も池田内閣以降の高度成長の基礎をつくり、憲法や安全保障といった国家のアイデンティティーの双方において卓越した仕事をした偉大な政治家だというのである。

福田が保守派の論客という点を割り引いても、私には彼の主張に全面的に頷くことはできない。

それは安保条約改定と合わせて日米地位協定を成立させているからである。在日米軍の数々の特権を温存した協定が存続しているため、戦後70年以上が経った今も、この国はアメリカの属国としての地位しか与えられていないのだ。

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歴代の不甲斐ない首相たちは、この不平等な協定を破棄するどころか、日米同盟はわが国の基軸などと寝ぼけたことを繰り返すだけである。

そんな岸を評価する気に、私は絶対なれない。

新聞との確執が絶えなかった佐藤栄作

岸の弟である佐藤栄作を、私は長年、最悪の首相だと思っていた。

首相在任中、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」といいながら、1972年にアメリカと密約を結び、米軍基地を固定化したまま「核付き返還」したからである。沖縄の人たちを騙したのにノーベル平和賞までかっさらっていった。

こういう人間をペテン師というのではないか。佐藤はメディアにも敵愾心てきがいしんを持っていた。

私が出版社に入った翌年に沖縄密約事件が起きた。毎日新聞西山太吉記者が、沖縄の地権者に払う400万米ドルを日本政府が肩代わりして支払うという密約をスクープした。それもあって在任中は新聞との確執が絶えなかった。

佐藤は退陣表明会見の冒頭、「テレビカメラはどこかね」といい出し、偏向的な新聞は嫌いだ、出ていってくれと締め出してしまったのだ。

「ガランとした首相官邸の会見室で、首相はモノいわぬ機械(テレビカメラ)に向かって一人でしゃべっていた」(1972年6月17日付朝日新聞夕刊)

兄弟で日本の植民地化を固定し、返還されても今なお沖縄の人々を苦しめている。後年、岸の孫である安倍晋三首相は憲法を蔑ろにして、米軍有事の際には自衛隊が参入できるよう集団的自衛権を容認してしまうのだから、この国の戦後は彼らたちに振り回されてきたといってもいいだろう。

ワースト8に入るが、いまだに人気のある角栄

今太閤と持てはやされた田中角栄は、「金権政治」「土建屋政治」といわれる一方で、人情味のある人柄に惹かれ、いまだに多くのファンを持つという不思議な首相である。

たしかに「日本列島改造論」をぶち上げ、日本中をブルドーザーで掘り起こした。数は力なりと田中派を大派閥にしたが、その陰で札束が乱れ飛んだ。

中国との国交を回復させたという功績もあるが、日本中を札束で支配した罪は大きい。料亭政治を定着させ、多くの妾をつくった。