「勝てるチームづくり」のDNAを受け継ぐ

金城さんも、仲里さんと同じ豊見城高校で栽監督の指導を受けた。中京大学卒業後、愛知県の弥富高校(現・愛知黎明高校)で20年間監督を務め、96年から2003年まで沖縄尚学を率いて沖縄に初めての優勝旗をもたらした。その後長崎日大高校に移り12年間で3度甲子園に出場。65歳の定年を迎えた19年には、古巣の愛知黎明高校に請われて再び監督に就任、名実共に全国を代表する高校野球の指導者になった。

勝てるチームをつくるために、練習環境、生活環境、生活習慣から整えていく。

「今、栽先生に負けないくらい、ものづくりやっていますよ。この2年だけでブルペン、サブを5カ所増やしたり、空き家を室内練習所に作り替えたり、合宿所にしたり。すべて栽先生の教えです」

さらに、その金城さんから沖縄で優勝経験を受け継ぐのは、99年の大会で沖縄尚学のエース投手を務めた比嘉公也監督だ。2008年に母校の監督となって2度目のセンバツ優勝を勝ち取った。今年も夏の甲子園出場をかなえ、勝負に臨む。栽監督から連なる指導者の裾野は、県内外で着実に広がりを見せている。

中学卒業後、100人以上が「県外の強豪校」に進んでしまう

一方で、沖縄の高校が選手を獲得し育成するには、困難が立ちはだかる。

栽監督がスカウティングに力を入れたように、トップを目指すには、素質と才能を秘めた人材の発掘が欠かせない。だが、最近では、今夏の甲子園出場を決めた東海大菅生高校の福原聖矢捕手のように、地元有力選手の本土への流出が止まらない。

中学卒業後、沖縄を飛び越えて直接、甲子園強豪校に進学する野球少年は100人を超えると言われる。時代と共に「格差」の意識が払拭されたことも背景にあるだろう。練習環境が充実し、個性と技術の多様性が育まれたことと引き換えに、沖縄は“人材枯渇”に向かう可能性がある。

NHKの高校野球解説者として20年にわたって沖縄の変遷を見てきた鍛治舍巧さん(現・県立岐阜商業高校野球部監督)は、野球人材の流出が続く沖縄の現状を危惧してこう指摘した。

「今までの沖縄の50年は、甲子園で4回優勝できたけど、これからの50年でできるかどうかは分からない。少年野球から社会人野球、プロ野球まで沖縄の中で自己完結できるような組織、野球環境をいま一度しっかり作っていく必要がある。そのためには栽監督のような魅力ある指導者が出てくることが大切になってきます」