松下幸之助は「どうして勝ったんだ」としつこく聞いてきた

「とにかく1番が好きな人で、1番になった組織、1番になったチームや人はどういうことを考えて1番になったか、そのプロセスと訳にものすごく興味と探求心のある方でした」

母校県立岐阜商業高校の野球部監督として今年、9年ぶりにチームを甲子園出場に導いた鍛冶舍巧監督=7月19日、県立岐阜商業高校(撮影:平良尚也)
母校県立岐阜商業高校の野球部監督として今年、9年ぶりにチームを甲子園出場に導いた鍛治舍巧監督=7月19日、県立岐阜商業高校(撮影:平良尚也)

鍛治舎さんが指導者として最も影響を受けてきた師、松下電器創業者・松下幸之助とのエピソードには、魅力ある指導者に関する示唆がある。松下電器野球部の監督を務めた5年間、大阪近畿地区の大会出場の結果報告のため7回、松下と直接対話する機会があったという。

「優勝すると、座れといって、少なくとも30分くらいは根掘り葉掘り、『どうして勝ったんだ』と聞いてくる。でも結果が2番とか3番だと、『あ、そうか、じゃ頑張って』って一言で終わっちゃうんです。1番のときは、『1番になり続けるためにはどうしたらいいか』ということを(百も承知で)いろいろ聞いてくれました」

松下幸之助は「真実は現場にある」をよく知っていた

「最後には『もっと言ってほしい、やってほしいことあるやろ』っていわれて。余計なことをいうと、僕から聞いたとはいわないで、後で現場に来て『あれはどうなっているんだ』ってわざと課題を言ってくれる。周りが慌てふためいて、その課題を潰していく。そんなやり方でマネジメントする、それが松下幸之助流の人の生かし方でした」

社内野球大会(昭和27年)で始球式のマウンドに立つ松下電器創業者・松下幸之助(中央)(提供=パナソニック)
社内野球大会(昭和27年)で始球式のマウンドに立つ松下電器創業者・松下幸之助(中央)(提供=パナソニック)

野球と経営は共通項がある。野球の中にある経営の極意を、松下は80を超えてもなお、自分自身でつかみ取ろうとしていたという。

鍛治舍さんはいう。

「真実は現場にある。現場をよく知って、現場が勝ち続けるために何が大事なのか、日本一になるにはどうしたらよいのか、プロセスや環境を日に新たでどう改善したらよいのかを考える。それが経営者であり、指導者ですね。沖縄にも、現場の声に聞く耳を持って、それにちゃんと対応できるような人が今後もいるのか。そこが一つ大きなポイントになると思います」