「子どもを大切にしないとオリンピックは成功しない」
2019年の年末だった。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事を務める高橋治之は東京・神谷町のステーキ店に日本セーリング連盟会長の河野博文、日本ウインドサーフィン協会会長の長谷川浩(2020年4月、新型コロナ感染症で逝去)、NTTの川添雄彦を招いて、食事をしていた。
話の内容はもちろん、オリンピックであり、レガシーについてだった。
高橋は10歳以上年下の長谷川にこう語った。
「……いいか、大切なのは子どもたちだ。大人はどうでもいいとは言わないが、スポーツの未来は子どもたちだ。オリンピックだって、子どもたちがいちばん見たいんだ。
浜辺でKirari!(※)を見せるのはいい。僕も見たことあるけど、いいぞ、あれ。ただし、大きな問題がある。前に大人が立つと、背の小さな子どもたちは見えないんだ。
いつも思うんだけど、マラソンとか競歩でも、列のいちばん前に大人が立つと、もう、子どもたちは見ることができない。あれがいけない。大人が前に立つのはやめさせないとダメだ。子どもを大切にしないとオリンピックは成功しない。
いいか、ヒロシ、2020年の東京大会を中心になってやってる連中ってのは1964年の時、子どもだったやつらなんだよ。
あの時、子ども心にオリンピックってすごいなと思ったから、必死になって働いている。だから、オリンピックは僕たちみたいな、じじい連中ではなく、子どもに見せなきゃならない」
※NTTが開発した超高臨場感通信技術。観客席から遠い洋上のセーリング競技の様子を、観客席のディスプレーに映し出す仕組みになっている。
最前列に子どもたちを招待できないか
そこまで話してから、河野を見て言った。
「河野、子どもたちをKirari!が見えるいちばん前の席に招待するなんてことできないかな。子ども専用の席を作るんだよ。ウインドサーフィンがやったら、他の競技団体だって、子どもだけの席を作ることを始める。それがレガシーになったらいちばんじゃないか」
河野は無表情だった。
「うん、しかし、IOCが何と言うか?」
すると、誰も発言はできない。その時、川添がそっと手を挙げた。
「河野会長、うちはオリンピックスポンサーですから、子どもたちの席はなんとかなります。チケットは手に入れます」
席にいた人々は河野の顔を見る。
「川添さん、ありがとう。それならやろう」
河野は「あのね」と語りだした。
「1965年のことだけれど、オリンピックの後、ロイヤル・デニッシュ・ヨットクラブが江の島ヨットクラブに6艇の子ども用ヨットを寄付してくれたんだ。それで、その6艇を使って日本で初めての江の島ヨットクラブジュニアができたんだよ」