「ありがとう」「幸せだよ」そう言われることにさえイラつく
柳井さんは、病気の母親を、そして母親を介護する父親を懸命に支えてきた。幼い2人の娘を育てながらの通い介護は、想像に絶する苦労があったに違いない。
「母は、言ったことをすぐ忘れてしまうため、何度も何度も『ありがとう』『お母さんは幸せだ』と言ってくれました。当時はその言葉にさえもイラついてしまったことがありましたが、亡くなってしまった今となっては、母を介護できて良かったと思わせてもらえる言葉です」
父親は、母親が亡くなってから意気消沈し、毎日泣いて暮らしていたが、1カ月ほど経った頃、ようやく笑顔が見られるようになってきた。
「どんな形であれ、その人を思い、考え抜き、対応したこと全てが介護だと私は思っています。私は最初、恥ずかしくて母のことを誰にも相談できませんでしたが、相談することで、とても楽になることを知りました。また、どんなに家族が大事でも、自分が壊れては元も子もありません。ダブルケアの中の自分時間がいかに大切か、実際に経験してわかりました」
70歳になった父親は耳が遠く、高血圧と言われているが、他は健康だ。
「コロナが落ち着いたら、母にはしてあげられなかった旅行を父にプレゼントして、私と妹の家族とで行きたいと思います」
近年、介護のキーパーソンに介護の負担が偏るケースが少なくないが、柳井さんの場合は姉妹仲も悪くなく、父親がキーパーソンを買って出たことで、うまくバランスがとれていた。父親はなるべく娘たちには頼らないようにしてきたし、柳井さんは主介護者の父親を尊重し、離れて暮らす妹には逐一現状報告。遠方に住む妹は月に2回は面会に来ていたほか、両親を優先し、突発的な事態にも最大限対応した。
おそらくこの先、父親に介護が必要になったとしても、柳井さん姉妹ならうまく切り抜けられることだろう。