2020年11月義母(94)、2021年3月夫(71)が亡くなった

2020年11月。義母は何度目かの尻もちをつき、その後、発熱。12月には血圧が低下し、翌年1月に永眠。94歳だった。

写真=iStock.com/Jesus Trillo Lago
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義母の通夜・葬儀は、腰の痛みで動けない夫の代わりに、義弟2人が手配してくれた。

2月になると、知多さんは義母関連の諸手続きや四十九日法要の準備に追われていた。

その頃、夫は通院が難しくなり、訪問診療に切り替える。心配した娘家族が来ても、夫は医療用麻薬で眠っていることが増えた。

義母の四十九日法要はコロナ禍ということもあり、近しい人たちだけで行われた。知多さんの夫は参列するのが難しく、納骨時だけ車椅子で参加。

3月に入ると、夫の容態は大きく変化した。

トイレまで行くことが難しくなり、ベッド横に置いたポータブルトイレで用を足すように。しかも、ポータブルトイレに移動するにも介助が必要になっていた。

知多さんは、自分が寝ている間に夫が自分でトイレに移動しようとして転倒されては困るので、センサーマットをレンタル。おかげで知多さんは、深夜や明け方でも、夫のトイレの介助に気が付きやすくなった。そして3月25日夜、夫は亡くなった。71歳だった。

血痕を拭き取りながら、涙が止まらなくなった

3月に入ってからというもの、知多さんは何度も総合病院や訪問診療の主治医から、「入院しますか?」と聞かれた。しかしその都度「自宅でみます」と返事をしてきた。

「今振り返って思うのは、壮絶な最期だったけれど、夫を入院させなくて良かった。自宅で看取れて良かった。そう心の底から思います。大変でしたが、その時々で、できることは精いっぱいしてきたつもりなので悔いはありません。もちろん、もっと生きててほしかったですが……」

しばらく滞在してくれていた娘一家が3月いっぱいで関東に戻り、その夜から知多さんは一人きりになった。

夫のためにレンタルしていたベッドや酸素吸入器などの介護用品を返却し終えると、部屋は空っぽになった。知多さんは掃除機をかけ、床を拭いていると、血痕を見つけた。おそらく夫のものだ。夫は最期の夜、大量に吐血して亡くなった。

知多さんは血痕を拭き取りながら、長く壮絶だった最期の時間を思い出し、涙が止まらなくなった。