「電車で靴を履いたままシートに足を載せた子」に注意できるか

また、子どもの可愛さから過保護になる親もいます。

中邑賢龍『どの子も違う 才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)

可愛いから、子どもの要求はできるだけ叶え、何もかも親が先回りしてやってしまう。その上で本当に優しい、争いを避ける親に育てられると、今度は、家の中にまったく壁のない状況ができあがってしまいます。

確かに、罰は行動を一時的に抑制するに過ぎませんし、褒めて育てることが良いと多くの子育て本には書いてあります。しかし、子どもは素直でおとなしい時ばかりではありません。多くの場合、わがままを言って暴れるので、叱らなければいけない時も必ずあります。

電車で靴を履いたままシートに足を載せ、窓の外を夢中で眺める幼稚園児とその親がいたとします。その場合「やめなさい」と叱り、行動そのものをやめさせる親、「靴でシートを汚したらいけないよ」と諭す親、「ほかの人に怒られるからやめようね」となだめる親、黙ってそっと靴を脱がす親と、対応は色々でしょう。

もっとも親子の間に波風を立てずに収めるのは、そっと靴を脱がすことかもしれませんが、それでは、子どもは何も考えることなく成長してしまう。つまり、先回りする親のせいで、壁がない生活が続いてしまうのです。それで、いざ学校や社会から強く注意されると、子どもが傷つき、泣いて帰ってきたと怒り、クレームをつける親もいます。

でもそういう時には、どうしてそうなったのか、まずは子どもと一緒に考えてほしい。そして傷つけたいから注意されたのではなく、必要だから指摘を受けたのだと受け止めてほしいのです。

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「過保護すぎる親の子」が挫折した時の悲劇

もし過保護のために親子の意識が一体化していると、なかなかそうもいきません。だからこそ、どこかで親と子が別々に、客観的にその状態を眺める必要もあるでしょう。そうしなければ、何かあった際に、親子ともども追い詰められてしまいかねませんし、子どもは親がいない場面で、大変に戸惑うことになります。

万が一、外の集団生活の中で指摘されて傷つき、そのまま家に籠もるようなことがあれば、状況はより複雑となります。

学校で不適応を起こした子どもを守るべく、必死に支え、生きる希望を失って死にたいという相手に寄り添い、機嫌をとるために好きなものを買い与えることで安定を保つことができても、それは閉じた安定の中で適応しただけです。

もしその先で親から「自立しなさい」と言われる時がきても、本人はどうしていいか分からないから、暴れ出してしまいます。まして青年期に入ってしまえば、修正はより難しくなります。