母親と自分とで90代の血のつながらない祖父の介護をして看取った

母親は、小林さんが中学生になった頃から、講師として家庭科の教師を始めた。小林さんが大学を卒業し、就職が決まる頃、92歳になった祖父の足腰が弱り、介護が必要になってきたため、母親は58歳で教師の仕事を辞めて介護に専念する。

小林さん自身も事務の仕事が休みの日や平日の夜、家にいる間は極力、家事や介護を手伝った。幸い、祖父は認知症ではなかったため、在宅で介護をしていた約2年間は、連れて行けばトイレはできていたし、話すこともしっかりしていた。ただ、小柄な女性である母親と小林さんには、支えがないと歩けない祖父を、入浴させたり通院させたりする際の介助は、体力的に厳しかった。

祖父が体調を崩したのをきっかけに入院してからは、母親と小林さんは交代で病院に泊まり込み、最期は2人で看取った。96歳だった。

過干渉な母は毒親「私への執着がひどく、いつも窮屈だった」

協力して祖父の介護をする母娘関係だったが、小林さんは、「母親と自分との関係は、実は子どもの頃からあまり良くなかった」と話す。

「母は、いわゆる毒親タイプです。四六時中、私の行動が気になるようで、離れると頻繁に電話があり、私への執着がひどく、いつも窮屈に感じていました」

小林さんが高校生になった頃、好きになった人や付き合い始めた相手のことを母親に話すと、相手のことよりもその両親のことが気になるらしく、根掘り葉掘り聞き出してきては、「父親の職業が気に入らない」「母親の性格がきつそうだ」などと難癖をつけて却下する。

大学卒業後、就職した企業の宿泊研修の最中には、母親は研修施設にまで電話をかけてきた。電話を受けた人事担当者が「急用かもしれないから折り返したほうがいいのでは?」と言うのでかけ直すと、「どうしているか気になっただけ」との返事。小林さんは呆れてものが言えなかった。

就職して4年目。親孝行のつもりで、友人とお互いの母親を連れて海外旅行に出かけたが、翌日から母親たちと別行動を提案すると、「危ないから行っちゃダメ!」とカバンを取り上げられ、せっかくの海外旅行先で外出できずにホテルで缶詰め状態に。友人には平謝りしながら、小林さんは心の底から、「二度と母親と一緒に旅行するものか」と思った。

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そして、就職してから5年目。小林さんが「結婚したい」と言い出したときも、母親はいい顔をしなかった。

小林さんの夫となる男性は、東北地方で生まれ育った。大学進学を機に上京し、下宿暮らしをしていた頃は故郷へ戻るつもりはなかった。だが就職活動が始まると、夫の両親が、長男である夫に戻って来てほしいため、地元の企業への就職を勧めたのだ。悩んだ末に、夫は地元の企業に就職を決める。