集団の中で育てていけば負担が分散される

子どもがどんな状態であろうと、それを周囲の人間が丸のまま受け止めれば、子どもは自分と自分を受け止めてくれる他人を肯定することができます。「かわいい」とか「利発だ」とか「礼儀正しい」といった価値観で子どもを値踏みせず、親が子どもをありのままで受け容れられるようになるまで誰かが親子を支えられる社会を作りたいものです。

武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)

ある発達障害の子どもはすぐにかんしゃくを起こす子どもだったので、親は嘆き困り切っていました。でもよく様子を見ていると、かんしゃくを起こすのは、自分の大好きな友達が他の子にいじめられそうになったときなど、きちんと理由があったのです。

親は「うちの子が迷惑をかけないようにしなければ」という責任感で一杯一杯で、子どもを客観的に見られなくなって状況を悪化させていました。周囲の大人たちがこのことに気づいて間に入ることで、その子どもの状態は次第に落ち着いていきました。生まれつき育てにくい子どもも、親が一人で育てれば大変ですが、みんなで見守って集団の中で育てていけば負担が分散されて育てられるでしょう。

オランダでは選択肢がたくさんある

また、残念なことに、よりよい環境についてよく学び考えている親の子どもたちが理不尽な要求をする学校に行けなくなったり、子どもの環境が心配で親自身がうつになってしまったりする例が後を絶ちません。親の理想とする世界と学校や子育ての世界とのギャップが親子を混乱させてしまうようです。

子どもたちのためには、家庭と家庭外の2つの文化の間に橋渡しが必要ですが、親は理想を掲げた手を下ろせず、学校は親子の苦しみを理解できません。でもそのギャップの間に落ちてしまうのは、子どもたちなのです。

こういうときは親子に多様な学校の選択肢があるオランダを思い出します。自転車通学が可能な範囲に特徴のある小さな学校がいくつもあり、公立も私立も学費が無料で転校が容易なため心理的負担もあまりありません。どうしてもこの学校この学級に行かなければならないというプレッシャーが少なくなれば、不登校による傷つきも深くならずに済むように思います。