※本稿は武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
大人になることが不安
子どもたちは今、いい子であること、成功することを求められています。「身につけなければならないコンピテンシー」を優先して身につけるように求められ、何が身についたかを評価されます。小学校6年生の半数近くが、土日も含めて放課後に1日平均2時間以上勉強していますが、これはつまり、その分、日常の生活体験や遊びの時間、自分で自由に考えて動く時間が少なくなっているということです。それで彼らの思考力や対人コミュニケーション能力の不足が指摘されるのは理不尽です。
テレビでは、めざすべき成功者である政治家や官僚が嘘をつき居眠りし質問に答えず、我を通しても忖度される様子を日々見ているのに、道徳の授業ではあるべき姿を教えられています。今、日本で進行していることをちゃんと思考したら、大人になることが不安になるのも希望が持てないのも無理はありません。
それでも、自分で養育環境を作ることも情報収集することもできない子どもたちは、育ててくれる人の価値観を信じて生きていくしかありません。自分の身近な大人がよかれと思って提案してくることを拒否できません。きちんとしなさい、学校に入りなさい、就職しなさい、スポーツができなければいけません、習いごとに通ってダンスだって踊れるようになりましょうと言われますが、誰もがすべてをできるわけはありません。
悩める子どもだったからこそ安全なレールに乗せてしまう
少なくない子どもたちは、自分に示されている状況に割り切れない気持ちを抱えたまま、大人社会のひずみを反映するようないじめに巻き込まれ、不登校、うつ、引きこもり、精神障害、非行、そして自殺に向かっていってしまうのです。メディアに依存してしまうのはそこが唯一逃げ込める場所だからなのです。
かつて悩める子どもだった大人たちはこのような状況だからこそ、逆説的に、この社会を生き抜いていくための少しでも安全なレールに自分の子どもたちを乗せてあげたいと思うのでしょう。悪循環が起きています。子どもたちは大人によって決められた予定調和の世界の中を走って、大人の想定範囲内で自分の希望を述べ、大人の意思によって育てられていきます。