子育てに正解も不正解もない

子育ての世界は、実は何が正解で何が不正解かわかりません。人生に正解不正解はなくて、常に試行錯誤で、ある年齢が来たらおしまいということです。完全に回復不能なまでに(それを私は子どもの受忍限度というのですが)傷ついてしまった場合は別として、回復可能なぎりぎりまで不利な条件で育った人たちは、その経験をもとにむしろ社会を変えるトリックスター(神話の世界に出てくる新旧2つの世界をつなぐきっかけをもたらす賢いいたずらをする者)になりうるのです。幸せな人たちばかりの社会だったら、不幸だったり苦しかったりする人たちのことまで配慮できなくなるおそれがあります。

たとえば、子育て支援の場で素晴らしい活動をしている方たちの中には、ご自身が何かの困難を抱えていた経験があったり、重複障害者と過ごした経験があったり、ご家族に障がい者がいらしたりする方が少なくありません。大変な経験をしたり、している人と接したりすることは、よりよい社会を作ろうとする意欲を持つ人を育てるのではないかと思います。

そういうことは私たちの社会にとってとても必要なことで、どんな人生がよくて、どんな人生が悪いかなどと言えないように思うのです。当人は苦しいかもしれないけれど、その苦しみが人を救う原動力になることもあるように思います。

このように、一人の人間を一人で、あるいは一家族で、ある方向に向けてまっすぐによく育てようとしても子どもはうまく育たなくて、何人もの多様な人間の中で迷いながら育つのだということ、迷いのない子育てはむしろマルトリートメントになりかねないということを、私たちはしっかりと認識しなければならないと思います。

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