能力は有機的な関係性の中で発揮されるもの

以前、数十名の学生が教員採用試験に向けて面接練習をしている大学の授業を見学したことがあります。ロールプレイの後に、要領を押さえた回答内容と回答方法のポイントを教わり、もう一度、笑顔で好印象を作って面接に臨む練習を繰り返していたその大学の教育学部は、その地方で一番教員採用試験合格率が高く、そのために入学志望者が増加しているとのことでした。まるで検品から個包装して出荷するプロセスを見せていただいたようでした。

武田信子『やりすぎ教育』(ポプラ新書)

このように、足りない栄養素をサプリメントで補給するような、人間の能力を限定的に捉える発想が、大人たちの予測を超えた子どもたちの全方位に向かう可能性を阻害しないように願うばかりです。

さて、これらの選抜方法はいずれも、「能力は個人の持ち物である」という考え方に基づいています。しかし、人の能力はその人の所与のものでしょうか。

ある職場でなかなか芽が出なかった人が、他の部署に配属になり、上司や部下に恵まれていい仕事をするということはよくあります。家族に病人が出れば、パフォーマンスが一時的に下がるかもしれませんし、恋人ができてパフォーマンスが上がる人もいます。つまり、能力は有機的な関係性の中で発揮されるものなのです。能力が発揮できるかどうかは、周辺環境に左右されるものと考えれば、その環境をどう整えるかが課題と認識されるでしょう。

また、機能している組織においては、一人ひとりが持つ基礎的な力に加えて、オンザジョブで時間をかけて専門性が醸成されていき、組織全体としてのパフォーマンスが上がっていきます。日本において終身雇用制が継続していたのは、この機能が有効だったからです。

「組織の中で人が育つのを待つ」という発想はない

しかし、短期的な結果が重要で、即戦力を必要とする今の社会においては、組織の中で人が育つのを待つことはできず、学校教育で育成された人材を雇用するか、他の組織で育った人材を中途採用するしかありません。仕事を始めてから徐々に力をつけていく家族経営の会社や農林水産業、技術職を選ぶのではない限り、雇用される側としては、個人の能力を幅広い分野にわたって上げておき、選抜される可能性を高めて準備しておくしかないということになります。より自分に自信があれば、すぐに起業するということになりますが、それはリスクが高く誰にでもできることではありません。

さらに就職後は、組織の中でよりよい成果を出さなければならないという競争とプレッシャーが待っています。組織内部のストレスも残業も増え、時にはハラスメントも横行し、組織内での対人関係を維持するよりも、よりよい条件を求めて転職したほうがよいという考え方が増えていきます。そういう社会の中で負荷をかけられながら生活している大人たちが、自分の子どもにはより高い価値をつけて社会に出してあげたいと思うのは当然でしょう。

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