普遍的な説明スタイルと、限定的な説明スタイル

ではもう一つ、「ある人に告白したがフラれてしまった」という出来事を想像してみましょう。あなたは次の二つの理由のうち、どちらのせいだと考えますか?

A 私には身体的な魅力がないので、フラれたのであろう。
B 私には魅力を感じるものが全くないので、フラれたのであろう。

この質問は、説明スタイルの「普遍性」の側面について、尋ねたものです。普遍性の側面は、「限定的」な理由によるものか、それとも「全般的」な理由によるものか、にわけられます。

選択肢Aのように、限定的な(特定の)説明をする人は、ある分野では無気力になるかもしれませんが、他の分野ではしっかりと歩み続けることができます。

たとえば、自分には身体的な魅力はないかもしれないけれど、その他の面では良いところがある、と捉えているのです。身体的な魅力について落ち込むことはあっても、それ以外の分野で無気力になることはありません。

一方、選択肢Bのように、自分の失敗に普遍的な説明をしてしまう人は、ある一つの分野で挫折するとすべてをあきらめてしまい、無気力が一般化してしまいます。

私たちが不幸な出来事を経験しても無気力状態にならず、希望を持って生きていけるかどうかは、説明スタイルの二つの側面、つまり、永続性と普遍性にかかっているのです。

無気力状態になる人は限定的な考え方ができない

それでは、先ほど紹介した人間を対象にした学習性無力感の実験と説明スタイルがどのような関係にあるのかみていきましょう。

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再度確認すると、「逃避不可能群」の実験参加者は、どんな組み合わせでボタンを押しても、騒音を止めることができませんでした。そして、こうした状況に置かれたときに、無気力状態になる人と無気力状態にならない人がいました。

その違いは、その人の説明スタイルの違いに基づいています。無気力状態にならなかった人は、どんな組み合わせでボタンを押しても騒音がなり響くという状況を、「この嫌な状況は、すぐに終わるだろう」と考えていた、つまり、一時的な説明スタイルをとっていたのです。

また、「複雑なボタンを正しい組み合わせで押すといった、このような課題は苦手なんだよな~」といったように、限定的な説明スタイルをとっているのです。これは、この課題(のみ)が苦手なだけであって、他の課題は苦手としていないことを意味します。

そのため、限定的な説明スタイルをとっている人は、別の課題を出された時には、無気力状態におちいることなく取り組むことができます。

一方、どんな組み合わせでボタンを押しても騒音がなり響くという嫌な状況に対して、無気力状態になった人は、「この嫌な状況は、いつまでも続くだろう」といったように、永続的な説明スタイルをとっていました。そのため、二つ目の実験でもずっと続くと考えて、騒音を止めようとはしなかったのです。