大食い大会の元祖はわんこそば
第2回には、佐野ラーメンや米沢牛ステーキ、仙台駅弁で競い、決勝は盛岡わんこそばを食べ、と東日本の名物を堪能。
第3回は西へ向かい、名古屋のエビフライ、京都ぶぶ漬けなどを食べ、決勝で高松の讃岐うどんを食べる。外国料理対決となった1995年正月特番は、激辛キムチ、シュラスコなどを食べ、決勝はハワイのマカデミアンナッツチョコである。
この番組で最も有名になった人は、ギャル曽根ではないだろうか。彼女は母親になった今も、タレントとしてテレビで活躍している。
大食いの人は太っているのではないか、という先入観は、出場選手たちのスリムな体を見ることで打ち砕かれる。この番組は、ラーメン屋などにある「10杯食べたらタダ」といった企画を大型化したものと言える。また日本には昔から大食い競争の伝統があり、1957年に岩手・花巻で始まった「元祖わんこそば全日本大会」はその代表的存在と言える。
江戸時代にも、大食いを競う大会は開催されていた。『和食とはなにか』によれば、料理本のベストセラーが出るなど、食のメディアが充実していたグルメ時代の化政期には、酒を飲める量や、食べる量を競う会が開かれている。
1817(文化14)年に両国柳橋で開かれた大会では、茶漬けを、73歳の和泉屋吉蔵が54杯、41歳の三右衛門が68杯も食べている。
文化的土壌はあったものの、それまでテレビで大食いをバラエティ化した企画はなかった。『大食い選手権』は、新しい分野を開拓したと言えるだろう。
世界的な影響力を持った『料理の鉄人』
1993(平成5)年、伝説の番組が始まる。それは1999(平成11)年まで放送された、『料理の鉄人』(フジテレビ系)だ。アメリカでテレビ番組に与えられるエミー賞にノミネートされ、アメリカや韓国などで類似番組が誕生するほど、世界的な影響力を持った画期的な企画である。
料理のコンテストは昔からある。しかし、一対一で勝負する企画は、リアルの世界ではこの番組がおそらく最初である。食の競争を見世物にすることをよくないとする意識の壁は、『大食い選手権』が破ったところでの登場。
番組内では必ずシェフたちのプロフィールを紹介する。包丁技や鍋の扱い方など、出場者の鮮やかな技を見せるスター扱いで、「料理人ってかっこいい」と思った人はたくさんいただろう。
ジャンルを本格的に開拓した番組は、料理人の社会的地位を引き上げたのである。
出場者の技術も向上させた。何しろ60分一発勝負である。包丁の持ち込みはできるが、そのほかはない。料理長をやっている人でも、アシスタント一人だけで自ら下処理から行わなければならない。
しかも、出演して初めて課題の食材がわかる。それを全品に使ってコースを組み立て、対決するのだ。異種格闘技をイメージしているため、対決相手は同じジャンルの料理人とは限らない。
和食、フランス料理、中国料理、そして途中からイタリア料理も加わってそれぞれ鉄人がいる。連戦してきた彼らに、料理人たちは挑むのだ。過酷な勝負は、確実に出場者の腕を上げる。
また、番組を見る料理人たちは、テレビを通して一緒に厨房に立つことが難しい達人たちの発想や技術を学んだだろう。