このころから、hideの体型に変化が現れはじめた。昼食代にもらったお金をレコード代やドブ板通りで遊ぶために使っていたことで、徐々に体重が減ってきたのである。「ロックスターはスリムでなくてはいけない」と信じていたhideは、この変化を「ラッキー」と捉え、さらに意図的に食事を抜くようになった。
バンドの初ライブが決まったときには、ひと回り小さいサイズの衣装を買ってそれを部屋の壁に飾り、「絶対にこの衣装を着て、ステージに立つ!」と毎日心に誓っていた。その結果、2カ月で20キロ近くのダイエットに成功し、自身の理想とするロックスターのスタイルに近づくことができたのだった。
バンドが生活のすべて
もともとhideはサーベルタイガーには誘われて加入したのだが、オリジナル曲をつくっていたため、いつの間にかリーダーになっていた。ライブの日程を決めて、チラシを手づくりして、お金の計算もする。
サーベルタイガーは、hideの生活すべてになっていた。高校卒業後に美容学校に進学して美容師として祖母の美容室で働いていたのも、すべてバンド優先の生活をしたかったからである。
サーベルタイガーの観客動員数は着実に増加して、横須賀のみならず東京や横浜でもライブをやるようになっていた。彼らの派手な衣装と過激なパフォーマンスは、どこのライヴハウスでも注目の的。しかし、バンドのメンバーは流動的で、hideはいつもメンバー探しに苦労していた。
そして、のちにD'ERLANGERとしてデビューするkyo(Vo)とTetsu(Dr)をメンバーに迎えたときは、「これ以上のメンバーは考えられない。このメンバーがひとりでも欠けたら、サーベルタイガーは解散する」とまで宣言した。