X JAPANのギタリストとして、ソロアーティストとして活動したhideが永眠して5月2日で23年が経つ。hideはどんな人生を歩んできたのか。急逝から20年を機に制作され、ファンの熱い要望を受け、このほど23回忌のメモリアルイヤーに復刊した『hide word FILE』(プレジデント社)から、その伝説の“前日譚”を特別公開する──。

※本稿は、大島暁美(監修)『hide word FILE』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
※ X JAPANのギタリストとしては“HIDE”、ソロアーティストとしては“hide”と正式表記しますが、本記事につきましては『hide』で統一表記しています。

X JAPANのギタリストとして活動したhide
撮影=管野秀夫(CAPS)
X JAPANのギタリストとして活動したhide

ぽっちゃり体型の少年時代

hideは幼いころの思い出を聞かれると、決まって「太っていたことしか覚えていない」と答えるほど、ぽっちゃり体型の男の子だった。

母が料理上手で松本家の食事はいつも量が多かったことから、一家は揃って太めの体型。家では母が愛情を込めてつくった美味しい料理をたくさん食べられて幸せなのだが、学校に行くとそうとばかり言ってはいられない。

ある日、給食の後にhideが教室で過ごしていると、校内アナウンスで校庭に呼び出された。クラスメイトに注目されてちょっと鼻高で校庭に行ってみると、呼び出されたのは肥満児ばかり。

「肥満は身体に悪いから、これからグラウンドをマラソンしなさい!」と体育教師に言われ、全校生徒が窓から見守るなか、校庭を走らされたのは、とても恥ずかしい経験だった。

また、美術の教師はhideの名前を覚えず、いつも「おい、そこの太った奴」としか呼んでくれない。逆上がりもできない、跳び箱も飛べない、マラソンはビリばかり。そんな屈辱的なことがありながらも、体育以外の科目の成績は常にクラスのトップテンに入っていた。それは、hideが「頭の悪い子と言われるのが嫌」と思っていたからである。

ガリ勉に見えるのはカッコ悪いので普段はそんなに勉強しないものの、試験前の気合いと集中力は凄まじく、試験の結果は大概満足のいく点数になった。

「負けず嫌いで、やろうと思ったことは必ず成し遂げる」というロックスターhideの片鱗が垣間見れる子ども時代のエピソードである。

X JAPANのギタリストとして活動したhide
撮影=管野秀夫(CAPS)
X JAPANのギタリストとして活動したhide