年収1000万円を超える人々が住んでいると思えない

右陪席クラスの判事補(非常に温和な人だった)が婚約者を官舎に連れてくると、「あの人は官舎に女の子を連れ込んでいる」などと中傷する人がいる。大型官舎では、こんなばかげた中傷がより上位の裁判官の耳に入った末にその人の評価にまで影響しかねない場合があるから、「好きなように言っていれば」と一笑に付することもできないのだ。

これは地方のことだが、一棟の官舎内で不倫が発生し、当事者たちが相手の家に入ってゆくのをほかの住人たちが見とがめ、やめるように忠告していたが、結局一方が引っ越すまで終わらなかったなどという話も、その住人たちの1人だった判事補から聞いたことがある。狭い閉鎖空間では、普通では考えられないようなことが起こりうるものだが、その一例といえる。

また、官舎の建物自体についても、建築時期が新しいものを除けば、大変みすぼらしく、外見は古い都営・市営住宅等と変わらない。内部も、たとえば浴槽は浴室と一体型ではなく打ちはなしのコンクリート床に設置されていることが多いし、壁もしばしば汚れていてわずかな凹凸があり、大雨が降ると天井や壁の亀裂から漏水が発生することさえある有様だ。

環境調査にやってきた市の職員が、私の先輩裁判官の妻が答えた年収に対し、建物の中をぐるっと見回した上で、「奥さん。これは公的な調査ですから、ご冗談は抜きにして、本当のところを教えてくださいな」と応じたという話を聞いたことがある。実際、そういう印象の建物なのであり、とても、年収1000万円を超える人々が住んでいるとは思えない。

東京都新宿区にある最高裁判所長官公邸(撮影=江戸村のとくぞう

今では賃貸住宅を借りる裁判官も

私は、日本の上級公務員の精神性が貧しくなり、既得権確保に血道を上げるようになる理由の一つが、こうした貧しい住環境、官舎生活にあるのではないかという気がしている。肩書きと現実の落差ということだ。

もっとも、こうした官舎生活が楽しいという夫婦も中にはいる。しかし、そのような人々はおおむね「当局に期待される裁判官とその妻」的な人間であって、まともな人々、特に妻のほうは、「本当にいやだ。いつになったら家をもって、ここから出られるの?」と思っているのが普通だ。

ただし、上のような官舎事情については、近年、変化している。まず、公務員全体の官舎整理統合の動きが大きく、裁判官だけの官舎で大規模なものはあまりなくなったという。東京でも、地方でも、公務員一般の合同宿舎に入ることが多くなっているのだ。

また、官舎に入らないで民間の賃貸住宅を借りる裁判官も増えている。これについては、昔と違って官舎の利用料が高くなった、一般賃貸住宅並みになったという事情も大きいだろう。なお、地方の裁判所官舎は、簡裁判事や幹部職員も利用するようになっているらしい。

以上のようなところが、日本の裁判官生活の実像、その概観である。