「イニシエーション」としての理不尽研修
大手広告代理店の電通では、2019年度まで、新卒向けに「富士登山」という研修が行われていた(コロナ禍での対応状況は不明)。
広告代理店の仕事と「富士登山」はほぼ関係がない。「理不尽な研修」と思う人も多いだろう。だが、そうした「理不尽な研修」は、会社の結束を高める上ではそれなりに意味があるというのもまた事実である。組織の熱量と結束力は、ウチとソトの文化の差に拠って形成される。
かつて鉄の結束を誇った自民党竹下派・経世会が「一致団結箱弁当」と形容されたが、これは、派閥の週例会で全員が同じ弁当を食べていた(他の派閥はいくつかから選べるという形であったようだ)ことに由来する。
要は、組織の力というのは、「組織の理屈」を個々人に押し付ける力とニアリーイコールであり、「全員で富士山に登る」とか「全員で同じ弁当を食べる」というような、意味の分からない風習・習慣こそが組織に共通の思い出を根付かせ、結束力を強くするのである。
文化人類学には「イニシエーション」という概念がある。ある集団や社会で、正式な成員として承認されるための通過儀礼を指すものだ。電通の「富士登山」は、新しく会社組織の成員になる人間に課されるイニシエーションの一つと理解することができる。
いまでは娯楽化しているバンジージャンプも、バヌアツにおける成人の儀式「ナゴール」を起源とすると言われ、勇気を示すことで「一人前の男」として共同体に承認されることを目的とした儀式であった。
このようなイニシエーションは、会社のような共同体においても(当然安全に配慮して実行すべきではあるが)、結束力を高めるにあたっては実は有効であるのではないかと私は考えている。
「宗教っぽい会社」はダメなのか?
転職を考える際に、「あの会社は宗教っぽいからやめておこう」という判断をする人は多いだろう。その判断は半面で正しい。「宗教っぽさ」を背景に違法労働を強いる企業は少なくない。
他方で、アップルやディズニーなど、熱狂的なファンを生み出す企業は、ある種の「宗教っぽさ」に基づいていることも間違いない。そうした組織は、熱狂を生み出すだけの明確な価値基準をもっている。そうした価値基準と自分が合うのであれば、勇気をもって身を投じてみるのも一つの選択であると私は考える。