太平天国の延長上にある香港デモ

——2019年6月から本格化した香港デモも、南方の人たちが北京の異民族や異分子の統治に不満を持って立ちあがったという構図において、洪秀全・孫文以来の反乱の系譜に連なっていると感じます。香港デモの合言葉「光復香港」は、孫文の「恢復中華」とそっくりです。デモ現場でよく落書きされていた「駆逐共党」(共産党を駆逐せよ)も、太平天国軍の「滅満興漢」や、孫文の「駆除韃虜」(韃虜を駆除せよ)と非常に近いニュアンスを感じます。

【菊池】デモ期間中は、香港大学にある孫文像にヘルメットとガスマスクがかぶせられていましたね。南方人の造反という意味で、「恢復中華」や「駆除韃虜」のテクストを継承した面はあると感じます。デモをおこなった人たちが「香港の独立」という範囲にとどまらず、広東語圏の全体を視野に入れて「両広(広東・広西)の独立」くらいを主張していれば、事態の推移も違ったものになったかもしれませんね。

撮影=安田峰俊
2019年9月15日夜、デモが大荒れした後で香港島のトラム駅に残されていた「駆逐共党」。

——香港人を含めた南方の華人たちが持つ伝統的な北京嫌いの心理や、過去の太平天国や辛亥革命の例から考えると、広東語圏全体を味方につける戦略を取っていれば、面白い展開があったかもしれません。ただ、デモ隊の若い子たちは香港返還後に生まれ育っているためか、こうした歴史文化的な連続性よりも、香港特別行政区と中国本土との行政的な境界線を基準にして「敵」と自分たちを区切ってしまいました。

【菊池】とはいえ、香港をこえた範囲まで運動を広げていこうという努力もゼロではありませんでしたよ。2019年9月、私が香港のいくつか大学を訪問した際に、キャンパス内で学生たちが簡体字のビラを作っているのを目にしています。中国大陸からの旅行者たちに、自分たちは君たちを拒絶しているのではなくいっしょに民主化を考えたいのだというアピールです。ただ、こうした動きは残念ながら主流になりませんでした。

——デモ最初期の2019年6月の時点では、私も簡体字のビラを見ました。事実、この段階では中国大陸の民主運動勢力が香港デモに加わったりもしていたのですが、デモが過激化した同年8~9月ごろからこうした泛中華圏的な性質が急速に消えた印象です。運動がどんどん、香港内部のネット文化をわかる人だけが理解できるハイコンテクストなものになり、中国人に対するヘイトスピーチや、都市施設などに対する破壊・暴力行動も目立つようになりました。

撮影=安田峰俊
香港デモの最初期、2019年6月17日にデモ現場に貼られていた「中国大陸人は香港を支持する」「中国内地に変わってしまわないで」というメモ。しかし、こうした声はデモのなかで香港ナショナリズムの色が強まった同年8月ごろから、急速にかき消えてしまった。

【菊池】2019年9月、星条旗を大量に掲げてアメリカ総領事館への陳情をおこなう様子も目にしましたが、あれはまずかった気がしました。外圧でしか香港は救われない、というのは香港側の言い分としては確かにそうですが、中国大陸からは強い拒否感を持って見られてしまう。「暗い近代史」を想起させてしまえば、中国大陸との対話は困難になります。