殺された動物の数は、少なくとも170頭
殺された動物の数は、資料や公式記録からわかるかぎりでは、国内だけで少なくとも170頭。だが、おそらくは200頭を超えている。また意図的に殺されなくても、飢えや寒さで死んだものもいたから――動物を100%近く失ったところもある――戦時中に命を落とした生きものの数はこれをはるかに上まわる。
天王寺動物園のばあい、上野動物園でしたことの再現となった。同園ではすでに栄養失調や石炭不足による寒さでゾウ2頭とキリン1頭を失っていた。そこへ上野での殺処分の報を受けて、大阪市長らが会議を開き、殺処分を決めてしまう。やはり銃は使用せず、毒殺や絞殺がおこなわれた。京都市動物園では、1944年に軍の命令でクマ、ライオン、トラ、ヒョウ14頭が銃殺・絞殺・毒殺で命を落としている。ただしヒョウ1頭とシマハイエナ1頭は、香川の栗林動物園に売られていった。
殺害命令に抵抗したスタッフたちがいた
殺処分のプロセスは動物園によってさまざまであり、関係者全員がすなおにしたがったわけでもない。たとえば熊本動物園(水前寺動物園、1929年開園)では、軍の命令で1944年1月以降に「危険動物」が殺された(できるだけ苦しめないために電気ショックをもちいている)が、園長をはじめスタッフらは、ニシキヘビやカバ、そしてゾウの「エリー」は「危険動物ではない」といって殺そうとしなかった。
もっともニシキヘビは燃料不足からくる寒さで、カバは栄養失調で死亡。エリーは1945年まで生きのびたものの、動物園の建物を使っていた軍が、彼女を労働に使用したいといってきた。園長が、慣れない人間がゾウを使うのは危ないと答えると、軍はゾウを殺して食肉にすることを決めてしまう。結局、エリーは電流の流れるプールに導きいれられることになったが、異常な空気を感じとって抵抗した。そのため、電気ワイヤつきのジャガイモを口に入れて殺害したという。
スタッフが殺害命令に抵抗した例は、神戸市立諏訪山動物園(1928年開園)にも認められる。同園でも殺処分はおこなわれたが、李王家から贈られたオオヤマネコを隠して飼育を続けたのだ(惜しくも終戦前に死亡した)。