職員たちは、みるみるやつれていった

そうすると、すみやかに殺すことは不可能で、動物園史上もっともおぞましい殺害劇が展開された。生きものたちは、毒(ヒョウの「八紘」もこの犠牲になった)、槍、包丁、ロープ、ハンマーによって殺されていったのだ。自分たちを信頼しきっている動物に手をかけた職員たちは、みるみるやつれていったという。

古い木板の上に四角い囲みのように置かれた縄
写真=iStock.com/ronstik
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ゾウのジョン、ワンリー、トンキーは、毒入りのエサを食べることを拒否するので、結局「絶食」という、これまた悲惨な殺害方法がとられた。なおジョンは、凶暴であったために長官命令のある前から絶食状態に置かれており、最初に死んだ。ワンリーとトンキーも時間の問題であったが、おぼえた芸をして必死にエサをねだり、飼育員も苦しくてつい食べものを与えてしまう。

やがて9月2日に、上野動物園での殺処分が報じられ、大達長官も参列して4日に慰霊祭がおこなわれた。ところが、2頭のゾウは隠された場所でまだ生きていた。生きたまま葬式をあげられてしまったのである。慰霊祭ののち、ワンリーとトンキーはそれぞれ息を引きとった。

上野動物園内には、死んだ人々の体が積みあげられた

この件が、子どもをはじめ国民にショックを与えたのは明らかであった。動物園に送られてきた手紙には、悲しみを訴える内容のものもあれば、こんな事態をもたらした米英を討つ決意を新たにしたとつづられたものもあった。

動物園の生きものの運命は、人間の運命でもある。やがて1945年3月10日に東京大空襲があり、園内には死んだ人びとの体が積みあげられたという(上野動物園 1982)。

上野での殺処分が皮切りとなって、日本と日本が支配下に置いていた地域(韓国、台湾、満州)でも飼育動物の殺害がはじまった。1939年から40年にかけて、協力を目的とする、19の施設(うち動物園は16。ソウル、台北のものも含まれる)からなる日本動物園水族館協会が結成されたが、政治学者マユミ・イトーによると、これに属していたほとんどすべての動物園において殺処分がおこなわれている。41年に同協会にくわわった満州の新京動植物園も同様だ。