ナチス政権下のドイツで、絶滅したはずの動物を再生させようとしていた兄弟がいた。彼らの目的は「アーリア的自然」をよみがえらせることだった。一体何が起きていたのか。関西大学文学部の溝井裕一教授が解説する――。

※本稿は、溝井裕一『動物園・その歴史と冒険』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

オーロックスとターパンの写真
図版1:ミュンヘンのヘラブルン動物園で飼育されている「オーロックス」(左)と「ターパン」(右)(画像=『動物園・その歴史と冒険』)

第1次大戦からの復活を遂げたベルリン動物園

ベルリン動物園ほど、戦争にたいする協力と、そのあとの破滅的な結末のせいで目を引くところもないだろう。

ここを率いていたのはルッツ・ヘック(1892~1983)。ミュンヘンのヘラブルン動物園園長ハインツ・ヘックの兄である。彼は1932年に、父ルートヴィヒのあとをついでベルリン動物園園長となった。ベルリン動物園もまた、第1次大戦の影響を逃れるわけにはいかず、市民たちに愛されたチンパンジー「ミッシー」「モーリッツ」などの動物を失っている。敗戦のあとはインフレが生じて、入園料ではとてもまかないきれないほどエサ代がはねあがった。

しかし、市民たちが寄付したエサや、銀行ならびに自治体による援助、インフレ解決のおかげでなんとか苦境を脱し、園長ルートヴィヒ・ヘックはふたたび動物の補充をはかる。このとき活躍したのが長男のルッツで、アビシニア(エチオピア)や旧ドイツ植民地(タンザニア)におもむいて、キリン、カバ、サイ、シマウマ、ダチョウなどを連れてかえってきた。ルッツが父のあとをついだとき、ベルリン動物園はふたたび堂々たる規模になって、453種の哺乳類と、799種の鳥類を飼育していた。

ナチス党員になったルッツ・ヘック

いっぽうでヘック親子は、ナチス思想に共鳴するようになっていた。もともと父ルートヴィヒには、皇帝ヴィルヘルム2世に支援されて、ドイツ産の生きものをテーマにした「祖国コレクション」を展示するなど、ナショナリスティックなところがあった。

またその言動はナチスを先どりするものであったと、みずから自伝に記している。彼は息子たちから、「父さんはすでに国家社会主義者(ナチス)だったんだよ。この言葉ができる前から、僕たちに国家社会主義的な世界観を説いていたじゃないか」といわれていた。

長男ルッツもその影響を受けたのか、ナチスがドイツの政権を獲得した1933年に「親衛隊賛助会員」になっている。親衛隊とは、ヒトラーの護衛を目的にハインリヒ・ヒムラー(1900~45)が創設した武装組織のことで、ナチス・ドイツの文化政策にも深く関与したことで知られる。親衛隊賛助会員は、毎月自分で決めた額の金を支払うことでこれに協力するのだ。

またルッツ・ヘックは、親衛隊の先史遺産研究所「アーネンエルベ」から奨励金を受けとっており、一時は親衛隊員になることさえ考えていたという。いずれにせよ1937年の時点でナチス党員にはなっていた。