自分自身の琴線に触れる作品を多く探してみる

これからはアート思考ができるビジネスパーソンの価値が、間違いなく高まります。

山口周氏(撮影=原貴彦)

そういうとまじめな人は受験勉強を行うように、とりあえず世の中で評価されている絵や音楽の知識を頭に詰め込もうとしますが、それはあまり効果的な方法とはいえません。だいいち長続きしないでしょう。

それよりも、できるだけ多くの作品に接することのほうが大事です。

私は子どものころ、祖父母が所有する箱根の山荘に行くと、することがないのでそこにあった集英社の美術全集をずっと見ていました。単に暇つぶしであって、絵の知識など皆無です。それでも、後年は山荘に着くとすぐに美術全集を開いて、お気に入りの絵を探すようになりました。絵の好き嫌いという基準がいつの間にか自分の中に育っていったのです。

クラシック音楽に関しても、家に大量のレコードがあって、それを何気なく耳にしているうちに、気づいたら自分の中にこの作曲家の音楽が心地いいというものができあがっていました。

さまざまな作品を見たり聴いたりしていると、そのうちに「これは肌に合う」「なんだか気持ちがいい」というような、自分の琴線に触れるものがしだいにはっきりしてきます。

アートを学ぶというのは要するに、この感覚を獲得することなのです。

ポイントとなるのは「ときめき」ですから、ベートーヴェンの交響曲第九番「歓喜の歌」に、彼が好きだったシラーの詩が引用されていることを知らなくても、また歌詞の意味がわからなくても、音楽だけ聴いて感動したなら、それで十分なのです。

もちろん、歌舞伎のように、ある程度背景がわかっているほうがより楽しめるというものもあります。その場合も、先に知識から入るより、とりあえず劇場に足を運んで、歌舞伎というものを味わってみること。そうしているうちに、より深く知りたいという気持ちが湧いてきたら、そのときはインターネットなどで調べてみるという順番がいいと思います。